AC:なんだかもやもやしています。
Co:うん。いまはそのもやもやをいっしょにあじわっていくのが良いと思う。
AC:はあ。
Co:ずっと信じてきたことにあれっ?って感じたらどうなるんだ思う?
AC:あっ、もやもやというか、違和感というか。
Co:その感じを変化っていうのかもしれないね。
さて、親や養育者が子どもの健康な成長を願うことは自然なことだね。同時に、親や養育者もまた成長過程にある人生を生きている人間だ。できる限り自分自身に自覚を向けられる状態にあればいいのだけれど、不幸にしてそうではない場合もあるだろう。
AC:そうですね、自分自身の癒えていない心の傷や、夫婦関係のこと、仕事のことなど。病気や不慮の事態もあるでしょうね。
Co:例えば、無自覚に世間体にとらわれていて子どもに過度に厳しく接したり、はんたいに無関心であったり。また、両親が長い間、情緒的に不仲であったり、言葉や身体の暴力が継続的にあったとしたら子どもにどのような影響を与えるかしら?
AC:親の顔色を伺って、常に緊張してしまうかも。
Co:そうだね。子どもは親の過度な干渉や無関心をやめてほしいと言えないので、(自我の未発達段階だから無理も無い)親や養育者の不安定な感情を自分に向けかえることがあるんだ。目の前の両親の不仲や不機嫌は、自分のせいだ、自分が良い子ではないからだと。
AC:うー痛いです。
Co:アンナ・フロイトは、それらは子どもが自然に行ってしまう「向け換え」という心的防衛機構であると言っているんだ。親の不機嫌・不安を感じて心が萎縮する。でも、ぼくに関心を向けてほしいと。そうすることで、親の不機嫌がなくなるかもしれないと。 でも、親の不機嫌は続くし、そういうときに良い子になれない自分が悪いからだという複雑な葛藤を抱えることになる。
AC:子どもは健気ですね。(ぐすっ。)
Co:例えば、あなたはうちの子です。といいながら言う通りにしないと(良い子でいないと)うちの子ではありません(死になさい)。という混乱したメッセージを子どもに無自覚のうちにむけるかもしれない。
AC:・・・。
Co:子どもは親の言語、非言語の望みのようになれない自分を責め、苦しむかも知れない。それで、自分自身で在ることの発達を停止させてしまうかもしれない。あるいは、何もせずに一歩も外の世界に出ない状態や、反対に自分を傷つけるほどのやり方でとびだすこともあるかもしれない。
AC:親は気がつかないのでしょうか?
Co:そうだね。本人の問題行動だと思いこんでますます過干渉や無干渉をするかもしれない。
AC:ほんとうは、親の不仲をなんとかしようと思ってやっているのに?
Co:うん、もちろん本人たちも無自覚なこともおおいよ。だから、学校の先生らも本人をさらに叱咤激励することが続くかもしれない。
AC:うーん、だんだん腹が立ってきました。
Co:そうだね。子どもたちは、自分でできるやり方で懸命に表現している。だから、親たちがそのメタファーを受け取らないうちはエスカレートする傾向にあるよ。
あなたは、やってもやっても達成感を得ることができず倒れるまで働いてきたと言ったね。無理も無いよ。誰にむけたどんなメタファーだったのかな?
AC:あっ。
2021.7