Co:ここでは傷ついた自己愛について話すよ。自己愛ってちょっと難しいんだけどね、とても大事な概念なんだ。
AC:自己中ってことですか?
Co:違うんだ。一般の会話では自己愛って言うと、自己中心的な人とか、うぬぼれていて勝手気ままな人、痛い人のようなイメージがあるけど。
AC:どう違うんですか?
Co:うん、カウンセリングでとりあつかう自己愛とは、対象との関係性の間で自分を愛する気持ちのことなんだ。
AC:???
Co:コフートという治療者は、親や養育者など、無条件で褒めてくれたり、受容してくれる対象の中で自己愛は育つと言っている。例えば、「あーこの親という人(養育者ら)は何があっても、私を見捨てないんだ」という言語的、非言語な体験が、子どもの自己愛(=自分で自分を一人の人間として愛する気持ち)を育むのだと。
はんたいに、親から、学校のテストが100点のあなたはうちの子で、60点のあなたはうちの子じゃないという条件がついた情緒の交流が長期に渡り主であるとすると、子どもの自己愛は健康に育まれず傷つく。
AC:うあ~、思い当たるところがあるのでちょっと苦しいです。
Co:どんなこと?
AC:私が小さい時、母がお稽古ごとに厳しかったのですが、茶道やお琴に。思春期になると私は友達と遊びたくてお稽古ごとをサボるようになるのですが、。そうすると母は不機嫌になったり、しばらく口を聞いてくれなかったり、買い物に連れて行ってくれなくなったりしました。
それで、ますます反抗してサボる時期もありました、。だいたい私、お茶とかお琴とかしたくなかったんです!
Co:うん。
AC:それで、お免状を取るまではなんとか続けたんですが。とにかくいやでいやで。でも、それをずっと言えなくて。
Co:もし、それを当時、言ったら何が起こると心配していたかな?
AC:え~。いまでも、言いたくないです。母にはまだ言えてないです。(あっ、言ったら見捨てられる?)(・・・うなだれる)
Co:うん。傷ついた自己愛の支障としては、共依存や複雑性PTSD、ボーダーラインパーソナリティのところでも話すけど、。
まず、ひとつめに、親や養育者、他者に、自分とは何ができるのかを必死に証明しようと行動してしまうことが挙げられる。
AC:証明?
Co:うん。良い子だからね、他者、例えば、先生や上司、周囲の親しい人らに、私はこんなことができるんだよ!と知らせようと、認めてもらおうと。
AC:うあっ!私?
Co:自分の得意不得意にかかわらず、やらなくてはいけない、やらなければ、ここにいてはいけない!誰にも愛されない!と。
AC:うあー、ワーカーホリック?
Co:愛されたい、わかってほしい。
AC:えー。病気ですか?
Co:いや、無理もない行動なんだよ。
AC:はい、。
Co:でも、他者が自分のことをすべてわかってくれるはずもないし、だいたい、自分で好きかどうかも吟味しないで、衝動に飲み込まれて行動しているから、その力は暴走する。
AC:暴走?
Co:結果がどのようになっても、。例え、うまく行ったとしても、きりがない。そして、がんばっている同じ力で自分を責めてしまう。なんだよ!どれだけやっても評価されない!関心を得られない、愛されない!大事にされない!と。激しく怒る。誰かにあたる!
AC:うああ、イタタタ。(私のこと?)
Co:そうすると、何もかもやめてしまう、しないと決める、バッサリと止めてしまう、極端な選択をする。
AC:う~。
Co:でも、しばらくすると、また、はじめて、。またまたブチギレる。悪循環のループ。
AC:うー。どうすれば?
Co:この繰り返しはジェットコースターのような人生になるね。
AC:、、、治るんですか?
Co:コフートは、傷ついた自己愛とは発達の段階で親密な対象との間で自己愛が満たされなかった状態なのだから、自覚を向け育て直すことで、治療は可能だと言っている。
AC:どうやって?
Co:自己愛の健全な成長には周囲、環境に褒められたり受け入れられる、自己愛を満たす体験が必要なんだ。対象との関係の中で自己がどうまとまっていくか。(自惚れ的な状況ではなく)自分が愛されたいという感情を育んでいくんだ。
カウンセラーと共に、安全なグループの仲間と共に。言葉を学んだときにように、繰り返し、繰り返し。
AC:うーん。
2021.8