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小学校5年生のとき近くの公民館で、ロックフィルムコンサート(若い人は知らないでしょう!)でクイーンを見ました。45年前ですね。黒い背景に展開される、Bohemian Rhapsody と ピアノに座った、フレディの Somebody to love 第一声 can〜 にゾクゾクしたのをおぼえています。
でも、何事もなかったように周囲の人のように、ベイ・シティ・ローラーズやキッスに夢中なふりをしていました。カウンセラーになってから、私は、 Somebody to loveとBohemian Rhapsody をかってに、ACの視点で解釈していました。映画を見て、あらためて、その思いを確信しました。(勝手に)映画がはじまってからラストまで、だいたい涙がとまりませんでした。
親の言う、良い子にはなれない、でも、愛してほしい、でも良い子になれないのは自分が悪いからだ。という、苦しさを抱えます。愛しています! といいながら、死になさい! と受け取って。
この段階のワークには、言語をつかうカウンセリングに加えて、感情や身体、夢をあつかう体験的なグループワークが有効であると体験しています。でも、それは、ときには、ハードなプロセスをたどることも少なくありません。
私自身も。映画を見終わったあと、私は、フレディに肯定された気がして、嬉しくなりました。、
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家族とAC研究室