オンライン小説『リバウンド』rebound-004 ビサ

 

死をぼんやり考えるとホームページを更新するのはどうでもいいように思えたが『ワイプ』検索結果で赤いメガネマークがついて嬉しかったのでとりあえずその日まで続ける事にした。なんであれ目標があることは生き延びられる。死んでからホームページが発見されるのも悪くない。Macに、明日の朝また全部新しい包帯に取り替える自信がないと打ち込んだ。画面は青くちりひとつなくて救われる。更新作業は表示にすぐに反映されるのでかろうじて社会に接しているような気がしてまだ人間なのだと思えた。メーラーが着信を告げビーポーピと鳴った。
「あなたのホームページを見ています。私はアメリカのメディカルリサーチ研究所で働いている者です。『ワイプ』研究医ボノ氏があなたの症状にとても興味を持っています。彼はいま会議に出席するためにオオサカに来ています。よろしければあなたに会いたいと言っています」

毎日いろんなメールが来た。そのほとんどが『ワイプ』を治す○○○!という商品の売り込みだった。なにが『ワイプ』研究医だわらわせるなと思ったが研究所の住所、電話番号、医師ライセンス番号、オオサカでの滞在先、出席会議の名称、連絡先がテキストされていてふつうで異質だったのでディレイトしないでおいた。

突然、砲撃の音がとぎれる。補給車のタイヤが燃えている。真っ黒な煙がいくつもたちのぼっている。衣類や薬類や食料などがぱちぱちと燃えている。あたり一面に早朝の霧が濃く立ちこめてきて5メートル先が見えない。強力なハウリング音が響いて、チープなメガホンが鳴った。ツギハカナラズアタルツギハカナラズアタルツギハカナラズツギハカナラズアタルツギハカナラズアタル。無音の世界に自分の息づかいが聞こえる。上空に朱色の照明弾がウボッボッボッと3つ燈った。ざわざわした吐き気とともに爆発的な神経伝達物質が沸き起こった。ぼくはすり鉢状の塹壕の壁を犬かきのように手足を動かしてよじのぼった。爪の先にどろが入り込んでめくれてきたがかまわずはい上がった。足がもつれてころげるようにつんのめって塹壕の外に倒れ込んだ瞬間、頭上を空気が裂けるようなきしんだ音が響き渡り塹壕がふっとんだ。大量の泥にまみれて右肩にあたたかいものが触れていたがそれは人間のちぎれた破片であるらしく見たくなかった。破片は鉄のさびのにおいがした。砲撃は止まない。場所が特定されている。ドン、ドン、ドン。ドン、ドン、ドン。ピンポーン。ドン、ドン、ドン。ドン、ドン、ドン。ピンポーン。ピンポーン?爆音で耳がつぶれていたが聞き覚えのある音。そのとたんに頭が割れそうに痛んだ。ぼくは包帯とヒフの残骸にまみれてふとんの中にいた。誰かがドアを叩いている。よろよろとドアに行きカギを開けると日差しのなかにU2のTシャツを着たビサが立っていた。サンダルを脱ぎ捨てるとぼくをすり抜けてドスドスと部屋に入って行った。
「会社に電話したら病欠だって言うから。寝てたの?」
「・・・そうらしい」
割れそうな頭から5文字をやっと絞り出した。
「電話止められたでしょ?」
「そうらしい」
「30分も外でうろうろしてたのよ、裏の窓から覗いたら画面が立ち上がって光ってたから絶対いると思ったのよ」
ぼくはよたよたと便器にしゃがみこんでヒクヒクとせり上がってくる吐き気を一気に解放した。胃がぎゅうっとけいれんを起こした。苦しい。目の奥がまぶしくてチカチカして土柱と赤い照明弾の残像が見える。
「何考えてるの、薬飲み過ぎよ」
ビサが錠剤のシートを見つけて言った。
「あのワイン2本とも飲んだの?バカじゃない、死にたいの?でもこれじゃ無理よ中途半端よ」
ビサはばっさりと言うと背中をさすってくれた。寝ているうちに指をこじいれていたのだろう、包帯があちこちぐしゃぐしゃにとれていて左肩からは浸出液がしたたりおちていた。右手の人差し指と中指の爪にヒフの残骸が食い込んでいる。血のにおいがした。かきむしり続けた指がこわばって震える。そうぼくはいつも中途半端なのだ。ずたずたになるが死ねない。
ビサが窓を開けて外の空気を入れた。大家さんの昼ごはんのにおいと排気ガスのにおいにまじって木々のにおいがした。彼女はばたばたと台所をざっと片づけたり包帯の山やワインのボトルやビールの缶をまとめている。ぼくは吐き気にタオルをあてがって壁にもたれてその様子を眺めていた。あれこれの薬の残留成分と泥のようなひどい二日酔いの中で『ワイプ』ではない普通の人間のヒフを眺め、ビサのにおいとうなじに欲情した。なんでこんなに全身がただれたヒフで社会には使い物にならない身体でそれを自分で知っていて、死んで生まれ変わろうと思っているのにここは勃起するのだろう。
「バカねそれでいいじゃない」とビサはぼくを仰向けに寝かせてそっと全身の包帯をとりはじめた。彼女の手はヒンヤリしていて包帯を巻き取られるたびにさらに勃起した。彼女は清潔なタオルを絞ってゆっくりとひたひたと身体を拭いてくれた。彼女はヒフは柔らかくあたたかかった。あたまに鳴り響いていた砲撃音が止んで指の力が緩んでいく。彼女の息づかいが聞こえる。ぼくは彼女の手の中で射精してしまった。
「ごめん」
「バカねそれでいいじゃない」
ぼくはうつらうつらとした。
「オオサカでたこやき買ってきてね」
「えっ?」
「だってオオサカといったらたこやきでしょ?」
「あんなメール、インチキに決まってるよ。金を振り込んで実際行ったら誰もいませんでしたっていう手口だろ」
「ライセンス番号を調べたけどまともな医者だったわ、なんだかバクテリアとかウイルスを研究している人みたいよ。1972年に『ワイプ』とフィラグリンの論文があったわよ」
ぼくはやわらかい感情の余韻が急速に覚めて、バクテリアとウイルスという言葉が意識にひっかかった。
「だいたいお金を振り込めって書いてないし、治験対象としたいと書いてあるのよ」
ビサは外資系の会社に勤めていて英語が得意だ。ぼくはメールを読みとれていない。
「行けないよ会社あるし」
「会社なんか休めばいいじゃない。だいたいもうだいぶ休んでるんだしそんな顔で出社したらまた例の1・9部長にカエレ!とかなんとか言われるんじゃない?」
乳房はなんで下から見ると大きく見えるんだろうとぼくはまた欲情して返事をごまかした。ビサはそんなとき子供のような表情になる。それが好きだ。
「明日の10時にオオサカなんて行けないよ」
ぼくは混濁の中に逃げ込もうとした。
ビサは横になってぼくをうえになるよう促した。
「あら、でももう是非行きますってメールを返しちゃった」と言った。
ぼくはビサの乳首を口に含むと彼女の内に入った。うでや首のヒフが引きつって痛かったがそれらを忘れそうなくらいあたたかい気持ちになった。ぼくはややこしい病気を自らややこしくしていて広告マンとして失格で社会人として廃人かも知れないが、それでも治験材料になるのなら少し救われるような気がした。そう思うと彼女が愛おしかった。ぼくはゆっくりと射精した。
もう少し生きているのも悪くないなと思って少し眠った。

2020.8.16

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