オンライン小説『リバウンド』rebound-018 ないものとしてふたをする。

ユウジンはふもとの居酒屋に河岸を変えた。入り口がこじんまりとしていて奥に小上がりがあって、リタが好きなタイプの店だ。こういうとき元恋人は気心が知れていて楽かも。ここでもユウジンは顔らしく開店前なのにおかみさんの笑顔とともに入れてもらった。地元の新聞記者ってなんなの?
ユウジンは取材直帰と会社に連絡した。リタもデスクに直帰の電話すると、セクハラまがいの嫌味を30秒間いわれたがじっと聞き流し、明日中に「お騒がせ芸能人がおすすめするハワイなお店」の原稿をあげますと言って電話を切った。デスクの声と背後のオフィスの喧騒はどこか違う国の出来事のように聞こえた。
なんとなく流れで熱燗とっくりにおちょこ2つをたのみ、お酌した。ユウジンは照れて何か言いたそうだったけどそれを言うと話が違う方向に行くのがお互いにわかっていたので何も言わなかった。
「クライアントからチェックが入ったんだ」
「広告主ってこと?」
「そうだ」
「新聞社の大口クライアントってどんな企業か知ってるよな?」
リタは思いつくことを言った。それらはたいていの観光地に研究機関や研修所などの広大施設を持っている。ユウジンはうなずいた。さしつさされつまだお通しも来ていないうちにお銚子が一本あいた。
「止めるとリバウンドが起こるということを医療者は知っているのだと思う」
「だから止めさせないの?」
「あともどりはできないからね」
「患者さんにはいまさら言えない?」
「たいへんなトラブルになる」
「でも事実はリバウンドを起こしている患者がたくさんいるわけでしょう?」
「そこで標準治療ガイドラインの登場だ」
「わからないわ」
「標準治療をしていれば、それをしているかぎりたとえ治ろうが治るまいが正しい治療をしていることになる」
「医者には責任がない?」
「定められたことをやっているにすぎないと」
「リバウンド症状は?」
「それは患者が勝手に治療をやめて、わけのわからない民間療法などで悪化させた症状だと」
「医者がそう言えばそう思うしかないわね?」
「そう、勝手にやめる患者は、えー、頭がおかしいのだと」
「患者はたまらないわね」
「勝手にやめた患者がわるいのだという論旨にすりかえる」

今ではスーツ姿の男女がひとくみカウンターにいる。親密な空気がうらやましかった。自分の仕事はリラックスした場所でシリアスな話になる。ときどきいやになることがあるが知りたいという興奮といつもとなりあわせ。
「治療のゴールは『ワイプ』と上手につきあうこと。医師の指示に従い『セラ』をストロング~ウイークと使いわけながらコントロールしていくこと」
ユウジンがカラープリントアウトされた冊子を開いて読みあげた」
「ようするに使い続けなさいということね」
「実際のところ患者に取材をすると薬の強度を使い分けるというのは現実的ではないと言うんだ。強度はどんどん上がっていく」
ユウジンは肩をすくめてみせて冊子の続きを読んだ。
「・・・標準治療は医学的に確立されているものである。しかしながら、一部の患者にある根拠のない『セラ』への不信感は医療者には理解し難いことであり、治療をやめて悪化をたどる患者の存在には頭を悩まされている」
「患者が悪いと言いたいの?」
「うん、御触書だと思う。この冊子は後輩の広告代理店のやつから手に入れたんだ」
「おふれ?」
「自宅や人目の着かない温泉宿なんかにに閉じこもっている患者がいることを一部の医療者は知っているんだ」
「封じ込めるのね?」
「そういう患者がわるい、セラは安全だと」
「文字通りないものとしてふたをする」
ユウジンは杯をあけて続けた。
「それは広告ですらなくていい。『ワイプ』はとても一般的な疾患だから市場がものすごく大きい。おふれは莫大な経済効果を維持する」
ユウジンは新聞全5段広告のスクラップを指でぱちんと叩いた。リタは手に取って読んだ。『セラ』の輝かしい功績をたたえるテキスト、日本列島に記された医療機関のイラスト、広告主の企業名。タイトルには人間と環境にやさしくあなたとご家族の健康を守りますとあった。ちょっと昔はこの手の手法を記事広告と呼んでいたよねとユウジンに言った。リタは両手でちょこをゆっくりとあける。熱燗の心地よい温かさが血管に染み渡るのと同時に身震いした。
「いまいましいほどありがちでスマートなしくみね?」
リタはため息をついた。
「くそいまいましい典型的なわれらが経済成長のしくみだ」
ユウジンは失礼と言って頭をかいて白い歯を見せた。
「不謹慎なことを言うつもりはないけどよくできたビジネスモデルだわ」
ユウジンはうなずくとその通りだと言ってとっくりからお酌してくれた。
うー、あなた仕事してるじゃん、と言いたくなった。

2020.9.12

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