オンライン小説『リバウンド』rebound-034   リタ、コヤマ医師に取材。

リタは郊外にあるコヤマ医師のオフィスを訪ねた。
彼はアメリカで医療に従事した経験を持ち、ダイエットから精神医学までラディカルな切り口でたびたびマスコミに登場し読者に人気がある。駅からほど近い高台にあるマンションに着いた。白い塗り壁風の外壁。リゾートホテルのようなエントランス。おどろいたことにライバル誌の取材クルーとすれ違った。

オフィスの待合室には大きな水槽があった。金色の魚が3匹泳いでいる。
「どうぞ」
秘書と思われる赤いめがねをかけた女子がリタの雑誌名を呼んだ。木製のドアノブを押してオフィスに入った。床と壁がベージュで統一されていて天井が高い。飾り箪笥の上には盾やトロフィなどが多数おかれている。南側の大きな窓の向こうにはテラスがひろがっていた。バーベキューができそう。赤いメガネの女子がポップなマグカップに入ったコーヒーを2つ持ってきて静かに去った。
彼は外国帰り特有の自信ありげな表情で座っていた。濃紺のサマージャケットにブルーのシャツ、オレンジのストライプタイ。左手には高級なクラッシック時計。こだわりがあるんだ。彼は右手でエレガントにコーヒーをすすめた。リタはひとくち口をつけるとマグカップを置いた。目の前にリタが郵送しておいた原稿が置かれていた。
「それでははじめましょう」彼が時計を見て言った。
「よろしくお願いします」リタはノートを取り出した。
「原稿をお読みいただいたご感想をお聞かせ願えれば嬉しいです」
彼はうなずいた。
「私はここに書かれている内容については大方知っているのだと思う」
「はい。もちろんそうですよね。今日はコヤマ先生にいくつかコメントをいただいて記事にさせていただきたいのです」リタは営業スマイル全開にした。なんかてきとうにコメントくれりゃいいのよ。もう原稿できてんだから。
彼は天気が良いからテラスでランチをご一緒にいかがですかという笑みを浮かべた。
「えー。正直に言ってそれには賛同しかねます」
「何か問題でも?」
「私はドクターボノについて知っています。彼はヒフガンの専門家ですし『ワイプ』に関しては研究論文をしばらく発表していません。第二に彼の治療を受けたという患者は今後どのように経過していくのかは未知数です。まあ、ぶり返し悪化をたどると予想はつきますが。第三にボノ氏が主張している、あー、バクテリアやヒフを貫通するというアレルギーを含めたあらゆるトリガーについてはすでに我々も解明済みでなんら新しいことではありません」
彼はそう言うと原稿を封筒に入れてリタの方へずずっと押した。リタはこの件を知ってから、そんなこと知ってるよいまさら何を言っているんだとか、それはかしこい方向ではないよとあつかわれることにうんざりしていた。
「それではどうして長い間苦しむ患者がおおぜいいるのでしょう?」
「『ワイプ』とは一般的な疾患です」彼は両肩を上げて言った。
「イッパンテキと申しますと?」
「病態は解明されていて医学的な標準治療が確立されています」
「苦しんでいる患者はいないと?」
「苦しむ理由がありません」彼はまた肩を上げた。
リタは気に入らなかった。返答が整然としすぎている。ちりひとつない。ポップなマグカップも気に入らない。でもこの手の医療関連の記事掲載には医者のコメントが不可欠だ。ここでキレルとまずい。
「その標準治療をやめると起こる、いわゆる“リバウンド”なのですが」
彼は両手を広げて肩を大きく上げた。(それはなんですか?と言いたいのだろう)
「医学的診断基準にリバウンドという定義はありません」
「それでは患者さんたちが言っている“リバウンド”とは?」
「私にはわかりませんが、何か合併症の急な悪化なのではないでしょうか」
彼はそう言うと頭をふった。
「私どもの取材では、患者さんらは一様に標準治療を経験した後、中止を余儀なくされ、えー、急な悪化を体験したと訴えていますが?」
「医師の指示を守っていればそのようなことはありえません」と肩をあげた。
リタはその土俵にはあがらねーよと思った。
「それでは、患者さんらは、どうして『セラ』止めるのでしょうか?」
「残念なことですが『セラ』について根拠のない不信感をお持ちなのでしょう」
彼の自信に満ちた態度には強制力があり、そういう時にいつも感じるその先にはいけないのだきみいという暗黙の指図を感じる。
「そういった患者の、あー、逸脱した行為に関しては、医療を取り巻く環境に要因があるのだと思います。患者を惑わすような民間療法などの業者が非常に活発であると聞いています。それはあなたがたマスコミにも一因がある。患者は専門家である医師の指示に従うべきです」
彼はそう言うと満足そうにうなずいた。リタはもはやこの原稿に彼からコメントをもらい掲載することはできないだろうと思った。でもこのままやりこめられるのは気に入らない。
「『ワイプ』患者の自殺に関してはどのようにお考えでしょうか?」
彼は、今度は何を言うのだというように眉をひそめた。
「民間調査会社の試算によると昨年の上半期の自殺者は、未遂を入れると4万人になるそうです。その三割に『ワイプ』が診られたという報告があります」
「それで?」
「先生のお考えをお聞きしたいと思いまして」
リタは彼の表情が歪んだのを見逃さなかった。
「残念ですね」
「先生の病院ではそのような残念はありましたか?」
「一例もない」
自信満々で趣味のいい医師は自分のオフィスでそんな会話は許さないというようにリタを見返した。
リタはそうなんですねとうなずいてみせた。飾り箪笥の上にある金色の馬の装飾を施した時計がコチコチコチっと短く長い時を刻んでいる。リタは試してみることにした。
「エス市のカンファレンスで、たいへんな事件があったと聞きました」
一瞬彼は明らかに驚いていたが、肩をゆっくり上げただけで何も言わなかった。いまでは彼は眉をぎゅっとひそめてリタをにらんでいた。もう最初の彼ではなかった。さあなんでも聞いてくれ私は話しの分かるフランクな人間だ。よければマグカップを持ってテラスに行こうよというムードはなくなっていた。
「失礼ですが御社名を伺っておきましょう」と彼は言った。
リタはあらためて名刺を差し出した。彼はそれをつまみあげるとしげしげと眺めてリタを見た。
「いつも思うのですが、御社のような大手出版社がゴシップをあつかう意味はどこにあるのでしょうか?」
「私どもはゴシップとは考えておりません」
「これは失礼。いずれにしてもある種の興味本位のうわさ話やスキャンダルなどが大きく収益につながるようですね」
リタはその点は飲み込んで黙った。この話しの先には別の世界がよこたわっていて、そこにはいま入る時期ではない。リタは礼を言うと封筒をかばんにしまい立ち上がった。彼はリタを見ずにうなずいた。それでいいんだと。

リタは、自分は何を期待してここに来たのだろう、ああこんな新しい真実があるんだね、ありがとうといわれることを期待していたのだろうかと思った。
悔しいのは自分でもそれがわからないことだ。

2020.10.9

 

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