オンライン小説『リバウンド』rebound-037   脅しのメールがやって来た。

インターネット黎明期にワンクリックサギという仕掛けが流行したことがある。
当時は新手の犯罪というような扱われ方をしたが別にそんなにすごいものではない。メーリングリスト一斉配信とデータベースを組み合わせた単純なアイデアだ。
「彼氏と別れたばかりで寂しいんです。今日これから会える?」
というメールをクリックすると
「お申し込みありがとうございます。当サイトは有料サイトです。ご利用料金30万円をご請求いたします。期日までに指定口座にお振り込みください」
と表示されたWEBサーバーにリンクする。同時にメール設定が取得され、定型箇所に◯◯様と名前が表示される。それはデータベース上のアウトプットにすぎないわけだが、あたかも自分自身が特定されたと思い込んでしまうのに十分なのだ。その後は、「ご入金が確認されていません」「督促状」「最終期日までに支払いがない場合は法的措置を取ります」という定型文メールが順番に整然と頻繁にデータベースから吐き出されて送られてくる。ネット免疫のないおじさんや、ネット命で実社会経験のない青少年らは、なんの気なしに健全な性欲を抱いてクリックしたことがたいへんな事になってしまったと頭を抱える。会社や家族にばれると恥ずかしいので、あわあわととりあえず振り込んでしまう。商取引としてぜんぜん成立していないし売り物を買っていないという単純なことに気がつかない。一度振り込むとこいつは金を払うやつだとマークされデータベースにフラッグが立つ。それらは業者間で売り買いされカモにされ続ける。誰にも相談できない事情という点を突く古典的な恐喝テクニックだ。

スタバの1日が終わりアパートにもどるとそれは来ていた。ビサが言ってたことが気になっていたし、なんとなく来るだろうなと思っていた。いよいよきたかという気もした。
「貴殿の行為は薬事法及び向精神薬取締法に抵触している。速やかなるホームページの撤去及び活動の停止を勧告する。添付ファイル書類に署名捺印して投函すること。期日までに不履行の場合は法的な措置に基づき強制執行を用いる。厚生労働省地方厚生局取締部薬物犯罪捜班。東京都千代田区○○○5丁目ー◯◯ 電話:03―○○○ー○○○○」
生き残るための疑り深い生存本能を持つぼくの神経伝達物質が目の奥をざわざわとかけめぐった。沖から大きなうねりが入ってきた。うねりはピークまで達すると白くくずれそのまま海岸を打った。ぼくは添付ファイルをクリックせずに発信元を検索した。このメールは何かバランスを欠いている。ぼくを脅かそうとしているけどどこかが醜い。どこかに恥がある。ぼくはそういう感じを見逃さないし感じすぎるから苦しい。暗闇で多くの時間を過ごしてきた者の生き残る知恵だ。ディスプレイの中でそれは25秒ほどで見つかった。発信元がポータルサイトのドメインでwebメールサービスから発信されていた。行政機関がそんなことしないだろう。住所はどこかの休眠オフィスで、電話はたぶん代行サービスか誰かの携帯に転送されることは予想できた。電話した瞬間にこちらの番号が探知されて居場所を知られる。まっとうではないことがわかったことでよけいに気持ち悪さが増した。誰かはわからないがこのようなメールを送ってきたわけだし、いたずらにせよ本気にせよぼくの何かが気に入らない人間がいるのだ。
ぼくは揺れた。波に立ち向かわなくてはいけない気がした。沖からのうねりは次第に大きくなった。小さく喘ぎながらなんとか深呼吸をした。システム終了を選ぶ。電源の落ちたディスプレに映る自分の顔を見た。今日スタバで会った彼女は悲しそうな顔をしていた。怒ってもいたがそれはまともなことだと思った。そう思うとぼくにもどることができた。これはぼくの乗る波ではない。立ちむかうべきものではない。もう一度深呼吸をして、とりあえずいまできることを考えた。ぼくはポニーのいる公園を何周かすることにした。その後、シャワーを浴びてビールを飲もう。古いサクラ並木を見ながら走った。枯れ葉を踏む音は気分がいい。電灯になんだかわからない虫が飛んでいた。暗い池からは湿ったにおいがした。部屋にもどるとビサがMacを見ていた。暗い道から帰ってきた時、部屋に明かりがついているとなんとなくほっとする。
「こんなことメールで送ってくるふつう?」
ビサは顔をディスプレイに向けたまま言った。ぼくはビサのその普通の感覚にいつも救われる。仕事用のグレイのスーツをきたままでぼくの椅子に座っていた。ビジネス女子のにおいがした。ぼくは自分が治った事をまだ受け入れていないのだろう。このまま治ってもいいのかと遠慮している。治った!と大声で言ってもいいのか迷っている。
シャワーを出ると、ビサが部屋に置いてあるピンクのパジャマを着て布団を敷いてくれていた。
「あんなメール消しちゃえばいいのよ」ビサがこちらを見ずに言った。
「うん」
「すっごい気にしてるんでしょ?」
ぼくは台所で缶ビールを開けて返事をごまかした。
「あなたは治ったからそうしてジョギングしてシャワー浴びてビールを飲めてるんじゃない?」
最初のビールをのどに流し込んだ。期待通り。
「誰かがぼくに腹をたてているんだ」
「それは誰の腹よ?」
「誰かの」
「あほかそんなものほっとけ」
ビサは小さな鏡に向かって、化粧を落とす何か一連の動作をさささっとやっている。
「この後すてきなことがおこるかもしれないじゃない?」
ひもを引っ張って明かりを消すとそれはすぐに起こった。

2020.10.16

 

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