広告代理店が構成する現実とは業者への発注だ。
業者は受注がなければあらゆるうんちくはただの妄想となる。業者にとって発注を止められるということは即、経営の破綻となる。電話一本で済む。受注側にはどこかのいなか町で誰かが自殺したということに特別な関心を持たなければいけない理由など何もない。発注されることにのみ存在理由がある。スズキは手馴れていた。
「もしもし」
「あっ、スズキさん、お世話になります」
「師走の忙しい時にご無理をいいますが」
「いえいえ、スズキさんのお役に立つなら」
「どうもどうも」
「それで、スズキさん、例のA社さんの春のキャンペーンの広告扱いはうちでぜひ」
「ああはいはい。まあクライアントの意向もあるけどね」
「お願いしますよぉ」
スズキはピンポイントで存在価値を突いてみせた。主要アナログメディアの掲載をすべて止めてみせた。狭い業界内の恐怖政治はアンタッチャブルで効果絶大だ。さらにスズキは、大手ポータルサイトの存在価値も突いた。彼らの派手ないでたちとは裏腹に資金繰りの困難さをスズキは良く知っている。こちらはメールで済む。誰もが受注だけではなく存在そのものを失うことは恐怖である。下請けを止めると孫受けは必然的に止まるし、あとはねずみ算式に止まる。メディアが報じないことは現実に起こったことではないことにできる。はじめからなかったことなのだ。現実とはそのように構成される。
構成された現実に住んでいれば自分らの存在価値なんて考えなくていい。受注があるかぎり構成された現実世界の一員としていられる。構成された現実に人生を合わせていればいい。受注が無くなりそうになったら不満を言えばいい。誰かのせいにすればい。景気のせいにする手もある。自身の存在に向き合わなくていい。もしかしたら奴隷とは楽な生き方なのだろう。自分の人生を生きてない人々の集団は受注に従順でコントロールすることが容易なのである。
一方、真新しいくつもの蜘蛛の巣がはられていた。じとじとしたしずくをまとった糸は暗闇の中で触手を伸ばしている。蓋をされたものたちが独自の存在価値を芽生えさせていた。スズキらがはなから相手にしていないものである。広告代理店に構成された現実以外の何かが育っていた。受注と発注のない個人と個人の繋がり。エス市のカンファレンス会場で起こった構成されない現実は匿名医師の個人的なブログにひっそりと巣が張られた。その巣からは血のにおいをさせたままpingという糸が複数の大手ブログポータルに横糸を伸ばした。更新履歴を監視している無数のネットワークにメールが配信され数時間後には匿名医師のブログアクセスが急増した。コメントが書かれるとあっというまにいくつもレスがつきレスがレスを呼んだ。『セラ』糾弾サイトにリンクが掛かるとまもなくいくつものコミュニティが立ち上がった。推測と憶測のバトルがはじまりそれらの数は毎日二乗カーブのスピードで増えた。蓋をされていたエネルギーはいったん標的ができると匿名性と言う衣を得て爆発的な洪水となった。行き着く先を持たない巨大な流れはあちこちでよどみをつくり小競り合いや無意味な言い分確保の場となり、互いに傷つけあった。
コヤマは同僚の自殺を悔やんでいた。自分のオフィスに居ても患者の顔と声が消えない。先生、私は治るんでしょうか?ずっとこうなんですけど。また入院ですか?苦しくて働けないのです。娘が死にたいと言うんです。床に落ちる大量のヒフのクズ。彼らのひかりのうすい目。ヒフににじんだ血の臭い。軟膏にまみれの衣服の臭いに耐えられない。
「先生、私は治るんでしょうか?」「この軟膏を塗って様子を見てください」自分の声ではない気がする。
コヤマは取材にきた女性の件をカワムラに電話で報告した。
「いつでも患者はわがままなものだな。雑誌の女のことはスズキにまかしとけ」
「はい」
「彼のことは、あー、気の毒に思う」
「・・・はい」コヤマはやっと聞こえるような声を出して通話が切れた。
カワムラは運転手に首都高でギンザに行くよう指示して目を閉じた。師走のギンザは華やいでいていい。偉いさんとあつかわれる自分を気に入っている。なんだかしらないがだらしないくらい落ち込みやがって。ノイローゼの男が死んだぐらいどうしたというんだ。身内でもあるまいし。おまえが同情してどうするんだよ。死にたいやつはこの世にいくらでもいるだろう。外国帰りで見た目がしゅっとしててマスコミ受けするから使ってきたがここらが潮時か。「セラⅣ」は患者がよだれを流して欲しがる。それでややこしい患者もだまるのだ。我々が現実をつくるのだ。ハルミ通りまでうちらうつらした。ヒビヤの地下道で運転手がアクセルを踏んだ時にポケットの携帯がピリリリと鳴った。ディスプレイを見ると「自宅」。なんだよこれから打ち上げだってのに。またレナが学校さぼったとかなんとかだろ。それは母親の仕事だろう。運転手に金を渡してクルマを降りた。ギンザのにおいを嗅いでしぶしぶ携帯に出た。「はいはい、わたしだ」
「あの・・・」
電話に出たのは女房ではなくて家政婦のフミだった。
2020.10.29