オンライン小説『リバウンド』rebound-053    ネットカフェからの正気。

見知らぬ街で夜、ネットカフェにもぐりこんだ。ブログには猛烈な勢いでコメントが書かれていた。
「そんなことだと思っていました」「サイテー」「恥を知れ!」「医者を殺すなんて」「おまえ人間じゃなくね?」「最初からおかしいと思っていた」「アメリカ『ワイプ』ビジネスのスパイだろ?」「見つけたらコロスゾ」「苦しんでいる患者の藁をもつかもうとする気持ちを踏みにじる行為だ」「早く自首してみんなの前で謝ってください」「ヒトゴロシ」「シネ!」
吐き気がする。冷たいコーラで押し込めた。管理画面にログインしてコメントを全部削除しようと思ったがたぶんきりがない。ニュースサイトには、ぼくはアメリカ医療ビジネスの宣伝マンで、強引に日本上陸を企んでいたと書かれていた。新薬の認可をめぐりコヤマ医師とトラブルとなったのではないかというのがおおかたの内容だった。ありがちなストーリーで他人事のようだったが、実際にはぼくの身に降りかかっているぼくの事だ。ネットカフェの小さなブースは体を折り曲げると何とか眠れそうだ。洗面所でタオルを絞って体を拭くこともできる。なにより暖房がありがたかった。他のブースからは咳払いと鼻をすする音と、ときどきヘビータッチのカップルのあえぎ声が聞こえた。天井からはなんだかわからない誰のためなのかわからない音楽が聞こえる。斜め前のブースにマンガの単行本を読んでいる若い男女の顔が見えた。PCの画面が点けっぱなしで顔に青く反射している。どんな都合や事情があるかわからないが、少なくとも殴られて警察に追われていないだろうと思うとうらやましかった。彼らはあまり楽しそうではないけれど、マンガとPCと飲み物があるし清潔な衣服を着ていて居心地がよさそうに見えた。左側のブースには髪の長い黒いティシャツの男が画面を見つめてヘッドホンをして一心不乱にキーボードを叩いている。あの年のころ自分は何をしていたのだろう。無知であることの自覚がないまま、手当たり次第に衝動だけを頼りに毎日過ごしていた。たぶん主に女の子とどうすれば出会えるのかとか、バンドをやりたいけど、どうしたらいいのかわからないといったようなことだったと思う。彼の殺気立つパソコンへの集中力にも嫉妬した。ネット上にテキストを投げ込んで画面の向こう側にいる見えない誰かと繋がりたい。暗闇が一筋の光で割れて、天使の羽に包まれた仕事やアイディアやお金や女の子が、ふわふわ降りてくるのを願っているのかもしれない。

コメントの通りなのだろうか?あやまったほうが良いのだろうか?ぼくは人の弱みにつけこんでいるのだろうか?捕まったほうがいいのだろうか?死んだほうがいいのだろうか?あれこれ思ってグラスの底に残っていた氷がとけたコーラを飲む。化学薬品と水がばらばらになった味がした。髪の長い黒いティシャツ男がドリンクバーに立った。ふざけた顔だった。母親に手をあげるような顔だった。正気にもどった。いまさら書き込みがふえたからってなんだって言うんだ。それよりこのままではどこかで通報されて捕まる。そうしたらたぶん真実など関係ないし必要ない。そのように構成される。偽善者としてさらしものになる。テレビと週刊誌ではだいたいそういうことになる。おいしくしゃぶられる。それはいやだ。熱くてうまいコーヒーも飲めなくなる。ビサにもあえなくなる。それはぼくが望んでいることなのか?いや違う。違うのか?違うならさあ考えろ。チガウナラカンガエロ。チガウナラカンガエロ。チガウナラカンガエロ。チガウナラカンガエロ。チガウナラカンガエロ。地方のネットカフェからぼくは何ができる?

店内に日本語のまともなロックが流れた。若い世代がぼくたちができなかった音を軽々とやってのけている。たとえそれがなんとなく焼き直しで商業的だとしてもぼくはそういう音楽が好きで、たぶんぼくはそういうふうに生きてきた。ドリンクバーに行って一番清潔そうなカップにお湯を入れて、一番普通そうなティーバックをとった。干からびた味がしたが少し気分が良くなった。
曖昧な記憶を手がかかりに検索を繰り返した。スタバ経由でドクターボノの治療を受けた患者のホームページやブログを移り歩く。午前4時30分に見つけた。彼はたしかここからそれほど遠くない山里にいる。フォームから短いメールを入れた。登山客の朝飯を準備する前にメールを見てくれ。たのむ。送信表示が終わった後もしばらく画面を見続けた。この画面はただの液晶パネルで、プログラムをグラフィック表示しているにすぎないことはわかっている。この画面の向こうには何もない。ネットワークケーブルの先には無数のサーバーがあり、TCP/IPという手順がぼくの打ったテキスト文字をばらばらにしてバケツリレーしている。そうやってスギノウエゲンという男のディレクトリに同期させているに過ぎない。そういったルールを知ることはなくともメールを使うことができることは良いことだ。
5時10分に返信が来た。それは顔を知っている男からのシンプルなメールだった。涙が落ちそうになった。実際には流れた。
ぼくはニット帽をかぶりなおすとデイパックを背負った。もう少しで愛着のわきそうなブースを出て、かちこちにしばれて青白く乾いた外へ出た。吐く息が白く、耳と鼻が千切れそうに寒い。わき腹と体のあちこちが痛く、寝てなくてさえない頭だけど、自分の気持ちを肯定すればゆっくりと歩くことができた。くだらないわなにはまってなんかいられない。言いたいやつらにはとうめん好きに言わせておけば言い。ぼくの欲しい物ははっきりしているのだ。ぼくはしょうがない場所で寝たくないし、おかわり自由でインスタントな飲み物を飲みたくない。ゆっくり風呂に入って、シャンパンをあけて、自分で作ったトマトソースのリングイネを食べたいのだ。恋人と。
ぼくはジーパンのポケットに両手を突っ込んで、待ち合わせ場所に急いだ。凍りついて乾いた道はがさがさと音がした。遠くの山々にかかる雲の背後にはうっすらと赤い朝日がのぼっていた。

2020.12.19

 

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