「大丈夫?」ビサが言った。
「なんとか」
「どこにいるの?」
「今は言えない。言うとこっちの人に迷惑をかけるよ。そっちはどう?」
「あなたのニュースはもう出てないわ。でも書き込みがすごいわね」
「うん」
「消しとこうか?」
「いや、ほっとこう」
「そう・・・これからどうするの?」
「いつまでもこうしていられない、いずれ捕まる。その前に真実を公表したい」
「どうやって?」
「わかんないよ、ねえ、ぼくが殺したって思ってるの?」
「・・・わかんないよ」
「わかんないの?」スカイプ独特の反響がヘッドフォンから返ってくる。かすかに混在している音声データが聞こえる、どこかで女の子が泣いている。
「離れているとなんだかさびしくて」
「警察にひどいことされたのか?」
「ううぅん、いろいろ聞かれたけど全部知らないって言った。っていうか隠す事なんかないから事実を全部話したわ。別にそれでいいでしょ?」
「うん。ぼくはなにも隠す事なんかしていない。でもいまは捕まりたくない」
「どうして捕まえたいのかな?」
「たぶんぼくがじゃまなんだ」
「そんなのわかってるわよ、それでどうすんのよ?」ビサはいらだっている。彼女はこういう不測の事態が嫌いだ。ロジカルにものごとが進まないのを好まない。
「そろそろ3分たつスカイプを切るよ」
ビサは涙声でぐずぐずしていた。
「ねえ、必ずこの状況を突破するよ」
「うん」
「じゃ、また呼ぶよ。バイバイ」
スカイプの赤いボタンを押して通話を切った。通話時間3分5秒。準備をして意図的に発信元を逆探知したとしても、3分で経由したサーバーを見つけて発信地域を特定するのは難しいと元患者のプログラマーが教えてくれた。マンションにあった遺体はコヤマ医師で、ぼくの顔写真と名前がすぐに報道された。ビサも取調べを受けている。段取りが良すぎる。誰かが冗談抜きでぼくを封じようとしている。無記名のトイレの落書ではない。でも、ぼくはそもそも逃げる必要なんかない。
山小屋の屋根裏部屋は快適だった。ふとんと毛布がありがたい。スギノウエゲンがワイヤレスランの繋がったPCを貸してくれた。彼はふもとの小さな駅まで迎えに来て、何も言わずぼくをジープに乗せた。そして、ぼくを風呂に入れ、飯を食べさせてくれた。わき腹は病院に行くとまずいだろうからとシップ薬を貼り、添え木をあててぐるぐるときつく包帯を巻いてくれた。彼は登山客相手の応急処置に慣れていると言った。ぼくの顔はおもった以上に腫れていて、人相が変わっていた。何が幸いするかわからないものだ。ぼくは夜行列車とネットカフェでこわばった体をふとんの上で伸ばした。客用のふとんが両脇に詰まれている。ぼくは一昼夜眠った。
明るい光の入る屋根裏部屋が天国のように感じられた。
2020.12.24