オンライン小説『リバウンド』rebound-056    息子のカルテ。

目が覚めると屋根裏部屋は暗かった。
階下からお客さんの声が聞こえる。暖炉の前で宴会がはじまっているのだろう。スカイプでリタを呼んだ。
「ずっとピッチ繋がらないしあなた大丈夫なの?」
「頼みがあるんだ。真実を書いてほしい」
「ええ、そうするわあなたが殺人犯でなければね」リタが鼻をならした。
「ぼくがやったと思ってるのか?」
「ええ、つじつまは会うわ。あなたはコヤマ医師に警告されていた。だから会いに行って、あー、かっとなって殺してしまった。私も警察に事情調書されたわ。あなたの部屋のパソコンが押収されているんだと思うわ」
ぼくは自分の部屋を誰かが土足で歩き回り、ささやかに積み上げてきたぼくのほとんどすべてと言っていい生活を踏みつけて、ノートやMacを無造作に持ち去られているさまを想像した。グロテスクで間違っている行為だ。ぼくは家賃を滞納しているかもしれないし、国民年金や都民税の支払いが遅れているかも知れないがどちらかと言えばまっとうに生きている。そのまっとうさが少しずれているのかもしれないことは認める。
「ふむ。だいたいぼくはコヤマ医師を知らない。アメリカの医療に詳しいということは雑誌で読んだことがあるが会ったこともない」
「ふ~ん。まあ、それはそうとして。私もこの件を記事にしたいのよ。実はちょっとした資料が手元にあるんだけど、どうすればいいかアイディアを聞かせてくれないかしら?」
リタはカンファレンスの映像と手紙について話した。
「医者が会場で自殺したのか?」
「私の、えー、友人が偶然撮ったのよ」圧縮した映像ファイルをメール添付で送ってきた。ぼくは解凍してファイルを開いて見た。胃の底が熱くなった。
「手紙には何が書いてあるんだ?」
「奥さんに宛てた遺書よ。アドレスらしきものがメモられているんだけどこれは何かしら?」
「はじめから読んで見て」
「えーと、エフテイピードット・・・」
それ、ファイルサーバーだよ。ぼくはFTPアプリに打ち込んでエンターキーを押した。画面が目まぐるしく変わってPCがどこかのサーバーにつながろうとしている。山小屋の屋根裏部屋からワイヤレス電波にのりルーターから伝統的な電話線を通じて意図のあるひとつのサーバーのファイルにコマンドが走っている。しばらくするとポップアップが認証を要求してきた。
「パスワードは書いてない?」
「え~と、あっ、これかしら、言うわ・・・」
ぼくはゆっくり打ち込んでエンターキーを押した。長く暗いトンネルを抜けた先に突如ブルーバックの画面が表れた。そこには整然としたHTMLファイルとディレクトリが浮かんでいた。最初のディレクトリを1つダウンロードしてブラウザで表示させてみる。息を飲んだ。ぼくはツリー構造を一瞬で理解した。それは『ワイプ』患者の画像と映像のカルテデータだ。最初のディレクトリには坊主あたまの少年のリバウンド症状が記録されていた。『セラ』中止後の過程が詳細に記録されている。少年のヒフからは浸出液がしたたっている。我慢に我慢を重ねた感情が、統制できない怒りとなって治療者にぶつけられていた。つらいもう死にたいつらいもう死にたいつらいもう死にたいつらいもう死にたいという少年の青い声。ぼくの胃の中にマッチがすられる。チロチロとした火は内壁を焦がし喉元にあがってくる。少年の目はまっすぐに治療者を向いている。はげしい苦しみとあきらめと信頼のようなものが複雑に入り混じっている。ほおの滲出液は垂れ、黄色くこびりついて彼は表情を歪めていた。ぼくは自分と周囲の境界線が溶けてふとん部屋全体がぼくの意識となった。思わず自分のほおをさわった。どろどろしていなかったが、炎のように熱をもっていた。大声を出したい。吐きたい。左の袖を噛んで抑える。

「ねえ、何かわかったの?教えてよ」リタの声がもどかしそうにヘッドフォンから聞こえた。
「・・・ちょっと気分がわるくなった。もう3分たつから切るよ。その手紙は貴重で危険だ。どこかにしっかりセキュリティを掛けて保管したほうがいい」
「ちょっと何よ・・・」
ぼくはリタの言葉をさえぎるようにスカイプの接続を切った。無音が肥大した意識をさらに際立たせた。大きな波にのまれないように、しばらく暗闇の中の一点を必死に見た。必要のない意識を排除した。少し待て少し待て少し待て少し待て少し待てば戻れる。PCの画面がスクリーンセーバーに変わった。子供用布団のピンクのウサギがぼくを見ている。ウサギ、ウサギ、ウサギが見ている。ウサギを見ろ。ウサギを見ろ。ウサギを見ろ。息を吐け、息を吐け、息を吐け。おれ。
小さな明りとり窓に近づいて月明かりで腕時計のディスプレイを見た。午前2時30分。階下に聞き耳をたててお客さんが寝静まっているのを確かめる。床下から梯子を下ろして廊下に降りた。そろそろと歩き、トイレに入り小便をした。客室からはいびきが交錯して聞こえる。一升瓶や缶ビールの缶が転がっている。ぼくは流しで静かに顔を洗って水を飲んだ。誰かが生きている世界に戻った。
のどがひりひりするほど冷たい水が胃の中を鎮めた。

2020.12.26

 

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