オンライン小説『リバウンド』rebound-059    763人の事実。

陽が落ちてから屋根裏部屋を降りた。厨房を通って勝手口から外に出る。
見上げると山小屋の窓の明かりが見えた。宿泊客の笑い声やコップや皿がかちゃかちゃと擦れ合う音が聞こえている。風呂に入り、夕食後眠るまでの登山者たちの至福の時間だ。今日のルートや景色を語り明日への想いをはせる。缶ビールとサケ。小さなウイスキーの瓶。夕食の残りを応用したつまみと日に焼けた笑顔。1日がとてもシンプルに過ぎていく濃くて甘い時間だ。ぼくはいつかあのような仲間に入れるのだろうか。今では狂おしいほどそんな時間や仲間を欲していた。外は濃紺な闇と完全に準備万端な冬の冷気があたり一面を覆っていた。ゲンが別れ際に1冊のノートをくれた。
「あんたがニュースになってから元患者のメーリングリストで話しあっていたんだ」ゲンはぶっきらぼうに下を向いたり横を見たりしながら言った。
「あんたがコヤマ医師を殺したかどうかは問題じゃないんだ」
「そんな事してない」ぼくは言った。
「そうなんだろうと思う」
「おれたちが話したのはあんたがいなければおれたちはいまこうして生きていないと言うことなんだ」ゲンは言った。
「いやぼくは何もしていない。治したのはドクターボノだ」ぼくはあわてて言った。
「そうなんだけど違うんだ。あんたもおれたちもみんな知ってる。あのまま「上手につきあう指示」にとりつかれていたら死んでたことを。自殺か廃人かのどちらかだな」
ぼくはその事について考えて黙った。ゲンはかまわず続けた。
「ちょっと前のおれたちのような患者はまだどうしようもなくおおぜいいるし、毎日つくられ続けている。表向きにはふたをされて今も浸出液をたれながしてのたうちまわっていることをおれもあんたも知っている」
いまでは、ゲンの背後に広がる深い暗闇に星が降っている。ふもとの村の明かりが数珠のように繋がっている。
ふもとまでゲンがジープで送ってくれた。車内でノートを見た。そこには見覚えのある名前がボールペンで不器用にずらっとならんでいた。ぼくがスタバで会って、ドクターボノの治療を受けた元患者たちだ。それぞれにメールアドレス、スカイプネーム、ブログアドレスが書かれていた。763まで番号がふられていた。
「もう、みんな準備ができている。過去の闘病記と現在の画像とテキストを用意している。なかには早くやろうというラディカルなグループもいくつかあってとにかく押さえとくのがたいへんなんだ」
「あんたが、例のカルテや映像をインターネット上に公開してdrbonoML@に“hangeki”と送信したら10分以内にこの763人の個人ブログがすべてオンラインとなる。そんで、763箇所からカルテデータに自動的にリンクされる。サーバーがいくつもあるし半分は海外のサーバーだから誰かが検閲して削除しようとしても、すべてなくすことは簡単にはできないよ」
「“事実”がインターネット上に芽をだすわけだな?」
「そうだ、それもいっきに圧倒的に、自殺した医者と息子のデータと763人の事実と個人の意志の繋がりだ」ゲンは前をじっとみたまま続けた。
「このことをそのなんとかって言う雑誌のねえちゃんに書かせろ」
「そうするとぼくがコヤマ医師を殺すという動機が成立しなくなるんだな?」
「まあ、あんた的なひとは一人じゃないってことだ」ぼくはうなずいた。
「おれたちができることはここまでだ。後はあんたが自分でできるはずだ」
ゲンは続けた。
「ただ注意しろ。この大波はすげー効果的だけど一過性の力しかない。長くは続かない。世間はすぐに忘れる、ニュースが多いからな。波がピークのうちに次ぎの波にのるんだ」
「表の波にでるんだな?」ぼくは言った。
「敵はなんたってパワーがある。どんな手にでてくるかわからない。新しい芽は芽のうちに潰される。過去の歴史が何度も何度もそうだったろう?」ゲンは神妙に言った。
「あんた山小屋の主にしては仕事ができすぎるんじゃないか?」
暗い曲がりくねった山道をヘッドライトの2筋の明かりが照らしている。
「ふん、おれの前の仕事を忘れたのか?」
ゲンは鼻を鳴らすと、急坂に備えてギアを一段おとした。強烈にエンジンブレーキがかかった。うすく雪が積もっていてうかつにブレーキを踏めないのだ。
「そうだった、インテリヤクザだったな」ぼくは言った。
「おいおいヤクザはやめてくれよ。ずっと顔(症状)がひどかったからな、ネットに向かうしかなかったんだ」
ぼくはうなずいた。
「今じゃ料理はするし薪割りもする、フライ(フィッシング)にかけちゃ村でもちょっとしたもんなんだぜ」
ジープは山道をがたがたとくだってきたが、平地に入った。久々のアスファルトの道路は湖の上を走っているようだった。
「なあ?」ゲンが目を細めて言った。
「なんだ?」ぼくは待った。
「生きてるってすげえよな」ゲンが前をむいたまま言った。
ぼくは別れ際にぜったいおいおいと泣いてしまうのがわかっていたので、精一杯言った。
「すげーな」
「あんたはすげーよ」ゲンがまじめに言った。
「ゲンもかなりすげーよ」ぼくは負けずに返した。
「ほんとだよなぁああ」ゲンはジープのなかに響き渡る大きな声で笑い出した。ぼくも笑った。行く手はまっくらで田んぼも山も見えなかったけど、真っ赤な夕焼けに飛ぶ赤とんぼの群れを見ているようなせつなくなつかしい気分がした。

2021.1.8

 

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