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Ⅳ章:「自分の専門家」になる冒険 ac-alive-049 自分との関係性の変化

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嗜癖(アディクション)とはアルコールや薬物(処方箋を含む)などの物質依存、ギャンブル、万引きなどの行動嗜癖(近年ではインターネット、ゲーム、スマホ等も含まれる)、そして、共依存などの人間関係嗜癖のおおまかに3つに分けられています。
ACの苦難とは原家族で得られなかった愛や関心を得ようと、周囲の他者とつながろうと邁進するがあまり、他者にとって都合の良い部分だけを束ねてしまう点が挙げられる。

Co:人間関係嗜癖には「自分との関係性」も含まれるんだ。
AC:自分自身との?
Co:生き延びてきた自分に依存してしまうのは当然でしょ?
AC:あーだって、それしか知らないし。
Co:ものすごく大事な自分だよね。
AC:はい。
Co:でも、大人になるとそれ以外の力を使えるようになるから、自分自身との関係性も柔軟に変化していくことが求められる。
AC:えー? どんな時に?
Co:ふふふ。自分にとって大切な人を愛するときでしょ?
AC:あ。
Co:大人になると、もう、愛や関心を得るために生き死にを賭けるような人間関係を持たなくてもいいよね。でも、嗜癖(アディクション)とは自己治癒の力でもあったわけだから、なかなか、やめられないんだ。手放したり変化することが難しい。
AC:う~。なんだかなー。
Co:うー。でしょ。
AC:嗜癖(アディクション)が自己治癒の力?
Co:そうだ。生き延びるための。
AC:えーと、例えば、?
Co:いい子、いい人。
AC:うあー。
Co:どう?
AC:いい妻であること、良い母であろうとしてました。けっこう必死で。
Co:うん、その背後にある感覚は、子どもの頃、生き延びるために必要なものだったわけだが、大人の力をもったあなたにはもう必要がないかもしれない。でも、なかなか手放せない。
AC:うーん、あたまではわかっているつもりなんですけど。
Co:過去、生き延びるためだったやり方が、現在の自分の成長や変化の支障になることがある。子ども時代のシャツをまだ着ている状態(笑)
AC:きゅーくつ。
Co:うん。でも、その、きゅーくつは目に見えないから、変化も見えにくいんだ。
AC:なるほど。他者から見ても自分から見てもわかんないですね。
Co:「お酒を飲まなくなった」、「ゲームをする時間が減った」は目に見えるけど。
AC:子ども時代の服をぬいだかどうかわかんない?
Co:うん、そうだね。さらに、難しい問題があるんだ。
AC:えー。
Co:もし、子ども時代の服をまだ着てたのかと気づいちゃったとしたらどういう気分になるかな?
AC:うー、かなり恥ずかしいし、。もしかしたら、いまさら脱ぐのも恥ずかしい?
Co:そう。
ひとつのケースをシェアしよう。
何度かバーンアウトした経験のある経営者の40代の男性のケースだ。彼は、家族を持ったことがきっかけで、もう、倒れるわけにはいかないとカウンセリングを受けることにした。元来クレバーな彼は、どんどん気づきが深まり「自分を知る」探求がすすんだ。数カ月後には自身の感情、身体に必要以上に負担をかけない選択ができるようになった。
でも、今度はこれまで感じたことのない「違和感」を体験していることに気が付き始めた。例えば、休みの日、何をしたら良いのかわからなくて、そわそわしてしまう。と。

AC:そわそわ?
Co:そう。
AC:?
Co:仮に、子ども時代の服を脱ぎだしたらどういう気持ちになるかな?
AC:あ。恥ずかしいの?
Co:うん。
AC:うわーっ。
Co:この違和感を「エッジ」というんだ。
AC:エッジ?
Co:一言で言うと、ひとつの知覚の臨界点かな。(ミンデル、2016)
彼は「いつでもいくつもの仕事をやり遂げられる自分」との関係性に嗜癖、執着があったわけだ。身体を無視して。それゆえに、何度も倒れた。
AC:はい。
Co:自分を知ることで、「あれれ、いつでもそうじゃなくてもいいのかも」といういままでとは異なる「自分」に出会いはじめた。
AC:ほー。
Co:ところがだ、ここで違和感「エッジ」に出くわす。
AC:えー、なになに。せっかくうまくいってるのに!
Co:子ども時代の服を着ていた自分の背後にある「仕事をしていない自分とはだめな人間だ」という感覚が臨界点に浮上してくるんだ。
AC:服を脱いだから?
Co:そう。
AC:あー、だから、そわそわ?
Co:そう。
AC:そっか、仕事していない自分とは「恥ずかしい」?
Co:うん。めちゃくちゃ恥ずかしかも。そんな自分は存在していいのか。と。
AC:じゃあ、また仕事をたくさんしちゃう自分にもどっちゃうかも? だって、つらいでしょ、自分が存在していいのか!なんて。
Co:そうだ。だからカウンセラーはエッジの出現に耳と目を澄ましている。エッジに到達したということは変化のチャンスだからね。
AC:チャンス!?
Co:ひとつの知覚チャンネルの臨界点だから、チャンネルを変化させるのに最適な機会なんだ。例えば、「私は仕事ができる人だ」という「ひとつの自分との関係性」だけを使うことに行き詰まってるわけだから。どうすればいいと思う?
AC:えーと、「ひとつの自分との関係性」だけを使って、倒れるまで仕事するわけだから、えーと、他のチャンネル、うーん、身体や感情のチャンネルに意識をむけるとか?
Co:その通りだ!他人のことはよくわかるよね。
AC:あ、褒められてますか?なんだか、腹が立ちますが。
Co:ごめんごめん。さて、カウンセリングやワークでこういった場面では、その「そわそわ」(違和感:感情と身体感覚)を少し味わってみましょう。とアプローチするかもしれない。
AC:そっか。「そわそわ」を感じていいんだ?
Co:うん。大事な臨界点、変化の入り口にある感情と身体感覚だ。準備ができてくるとエッジにひそむ人物と会話することができる。
「仕事をしていない自分とはだめな人間だ」とは誰に言われている気がするの?
AC:え、私? えーと、。あっ。
Co:誰を思い出す?
AC:・・・言いたくないです。
Co:うん。なんて言ってるの?
AC:「できない自分は生きている意味がない。」
Co:どんな気分?
AC:「だめな子と思われたくない!」
Co:うん。そうだよね。
AC:・・・。

Co:子ども時代の服を脱ぐのは簡単ではない。無理やり脱がせるものでもない。これまでの苦闘を誰かに深く共感され受け入れられると、いままでの自分に慈しみを持てるようになる。そして、手放す準備を受容できるようになる。
AC:・・・そうなれるかな?
Co:子ども時代の服に、「いままでありがとう、あなたのおかげで助かったよ。」と言ってごらん?
AC:・・・はい。言いました。
Co:どんな気分?
AC:泣きたいです。
Co:うん。自分に共感できたね。
AC:自分に共感?
Co:いままで感じたくなかった感情、身体感覚に。
AC:あ、エッジ? そわそわ?
Co:そうすることで、自分との関係性が変化していく。いま、どんな気分?
AC:このままでいいんだー。
Co:ほら。

2021.9

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