アダルト・チルドレン(AC)への手紙
私たちは、自分の歩いてきた道、これから歩く道、そして自分の持っている「力」を語る言葉、自分を肯定する文脈を持っていなかった。だから、とても苦労してきた。家族や学校や仕事、社会にコミュニケーションする文脈がなかったからだ。
・アダルト・チルドレン(AC)とは、大人になれない子供のような人間なのか?
・家族トラウマの後遺症に苦しむ病者なのか?
・社会の要請に適応できない、へんな人々なのか?
・共依存?
・アディクション、関係性依存者?
・自己愛の損傷?
いずれにせよ、どんな言葉を用いようが、私たちは苦難を生き延びてきた。生存者と言える。そこにはこれまで生き延びてきた「力」、スキルがあったことは間違いない。それらをフルに活用してきたことが、パーソナリティを形成してきたと言える。
ここまでが、「ACの生きる力」の第1ステージだ。
次に、大人になるにつれ、使えるツールが増えていく。学業、仕事など。そして人間関係に親密性を見つけていく。この第2ステージでは、これまで生き延びてきた「力」、パーソナリティはもはや必要がうすれていくのだが、これまで培ってきたものを手放すことはなかなかできない。北風と太陽の旅人のように。
親密な人間関係、愛情が深まるに連れ、手放すことへの「罪悪感」「恥辱感」などを体験する。
また、手放すシーンでは、アイデンティティ(これまでの自我同一性)の破綻や心身の「死」の入り口を体験することも起こるだろう。だから、かんたんには手放せない。手放そうとして手放せない、繰り返す。
しかしながら、このような第2ステージへの葛藤や気づき自体が、ほんとうの私たちの「力」となる。
自分とは誰で、どんな欲求や必要性を持っている人間なのかと、自分を探求する力である。この力はセラピストや仲間とともに開かれるが、その道すじは、他者への監視や争い、戦争を無力化することにつながるものである。
こうしてアダルト・チルドレン(AC)のとは、「生きる力」として肯定される。それは、当初生き延びるために後回しにされていた健全な自己愛を育てる機会となり、パーソナリティの変容を見せる。
西の空に月と金星が美しい、5月。