*統合的カウンセラーの日誌

3月11日を想い、カウンセリング、ワークを少し振り返ります。

私は心理臨床家として研究者として、先人が概念化に尽力したアダルト・チルドレン(以下:AC)というひとつの枠組みを、こころの変容のガイドラインとして、彼ら彼女らの(セラピーを必要とする人々、自分自身の探求に取り組む人々、など修行者)の人間理解、あるいはセラピー、変容支援のようなものに取り組んでいます。

彼ら彼女ら自身、変容の経過、社会との接地の在り方は多岐にわたり、カウンセラーの関心は、いくつかの臨床心理学、精神医学など人間理解を学ぶ道に至りました。

開業してまもなく、私は、個人セッションに退屈さのようなものを感じることがありました。それは、私にとっては、伝統的な力動的心理カウンセリングの窮屈のように感じました。

“「わたしはわたし、あなたはあなたという個人が自由と尊重を自覚した後は、「次は何か?」と訪ねたくなるものです。「私はあなたの責任を担わないという自由を発見した後に「どうずればわたしの存在があなたに益をもたらすか」さらに「どうすればわたしのことをやっているわたしが、あなたのことをやっているあなたに益をもたらすことができるのか」”<引用文献*> リッキー・リビングストン著 吉福伸逸訳 聖なる愚か者 ゲシュタルトワークの新地平 星雲社 1989

たぶん、わたしにとっては、力動的個人セッションであつかうことのできる範囲を越えた、同じような自分探求を続けている人々らとの関係性をあつかうことに関心が湧いたのだと振り返ります。「自己の成長と自覚の先には、つながり、があるという理解」(*トランスパーソナル心理学)

そんな時期に私は、幸運なことに吉福伸逸さんのワークを体験することができました。私は、心理臨床家としての覚悟と研鑽を積むんでいく方向、自己探求をつづけることの意義を発見することができました。東北の震災の前年でした。

それ以来私は、自身のオフィスで、吉福伸逸ワークのエッセンスを分解咀嚼し、自分のものにし、CLさんらに提案する研究に時間を費やしてきました。それは、フロイト、ライヒ、ユング、アレキサンダーオーエン、パールズ、ミンデルなどいくつかの心理学、臨床心理学を背景に、斉藤学、エリクソンなど精神医学的な治療者、またジェイ・ヘイリー、ベイトソンなど家族療法の創設者たちなど、さらに、ゲシュタルト・セラピー理論、プロセス指向心理学、プロセスワーク、そしてトランスパーソナル心理学、ケンウイルバーの思想、禅マインドをとりかかりとした東西の思想の融合の視点を猛烈にむさぼる時間となり、私にとっては至福の時間となりました。マイルス・デイヴィスと赤ワインは私を鎮静化させて、フリーで引くギターとサーフィンとはわたしの身体感覚を取り戻す助けになっていました。

この私の時間は、

ACの自覚がある、なし、に係わらず、自己を探求する人々、そうせざるを得ない人々、トラウマを持ちながらもなんとか生きていこうとする人々、自分自身とのひとつの関係性に固着し、生きずらい人々らへ、

個人セッションとグループワーク(グループサイコセラピー)を併用するという臨床的な実践と検証の試みの開始となりました。

吉福伸逸さんのワークのエッセンスを臨床的に分解し学術的に展望し論文化するには、(私にとっての)先行文献が足りず、ここ数年、論文にするのには苦労しました。なかなか論文構造の文章で表現することは難しく、査読の先生らになんども訂正を強いられました。もちろんわたしの論述技術不足です。よろよろとなんとか臨床的なグループワークのとりあつかいは、ヤーロム、ゲシュタルトの一部の論文、Aミンデルらの文献をつかうことが気にいることとなりました。(ヤーロムが臨床的なグループをグループサイコセラピーと記述しています)2016年には、以下を発表させていただくことができました。感謝!

論文 活動報告:「アダルト・チルドレンを主たる対象とした開業心理療法家による統合的な心理療法実践の試み」明石郁生   https://ikuoakashi.jp/works

現在は、嗜癖行動学会、アディクションと家族にむけて

「個人面接と精神力動的理論をとりいれたグループサイコセラピー (ゲシュタルト・セラピー、プロセスワーク)併用実践の報告 」 の原稿に取り組んでいます。

一方、ワークのトレーニングとしては、吉福伸逸さんのワークに亡くなるまで2回参加させていただきました。ワーク後の南三陸〜の視察旅行に参加させていただいた機会には特別な想いがあります。また、日本ゲシュタルト療法学会のワークショップへの参加、SVを受けつつ、ミンデルが来日した際のワークに参加しつつ研鑽を積んできました。

それらの時間は、精神力動的セラピー、家族療法の視座をもちつつ、グループワークの形態を創造し、ACグループワークまたは明石郁生グループワークの在り方として積み上げることとなりました。

アダルト・チルドレングループワーク
https://ikuoakashi.jp/693

明石郁生グループワーク研究:2016
https://ikuoakashi.jp/852

明石郁生グループワーク+ネイチャーワーク
https://ikuoakashi.jp/925

明石郁生 グループワーク 3DAYS @越後湯沢 ー岩原ゲレンデー
https://ikuoakashi.jp/967

アダルト・チルドレンのためのゲシュタルト・セラピー
https://ikuoakashi.jp/1003

私の実践しているワークは、ゲシュタルト・セラピーの方法論から、家族療法の視点、またはプロセスワーク、ボディワークなど知覚の自覚や瞑想に進行したりすることがありますが、私はグループワークの参加者、臨床対象らについて、個人セッションの見立てをつかったり、見立てを使わないという選択をつかったりしながら、力動的な会話やTHと参加者の相互関係を用い、目指すセラピー的変化を目的とした、吉福伸逸さんのワークへの敬意と明石郁生にとっての臨床的解釈のプロセスであると言えます。

3月11日を想い「悲しみの共同体」と、いま在ることのできる自身への自覚をこめて。

明石郁生

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コメント

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    • 渥美清子
    • 2017年 3月 09日 10:49pm

    今まで何度も書いたものを読ませていただきました。吉福さんのワークは実際参加したものにしか分からない部分も多くありますが、もし一度だけ参加したとしてもそのインパクトの強さは他に伝えることが不可能の様に感じています。彼は自分を語らず人を語らせる、クライアントの心を見通す、いるだけで場の雰囲気が変わる、存在そのものであると言う点で真似ごとでは済まないものがあります。いかに自分に厳しいかを他者に感じさせることなく、他者にはそれ故に優しい。ある意味心の天才ではないかとさえ思うのです。したがってこれでいいという事は自分自身には許さない。自分探求に徹していたと思います。

    感想を言わせていただきます。文章の中に心理学に関する説明が多すぎます。明石さん自身の心情、考えがそれ故に薄くなってしまっていませんか?
    もしその部分を落としてしまえばかなり分かりやすく、心理学の理論ではなく人間学(と言ってもいいならば)を使って個人、グループの力を引き出して行く、それが統合的セラピーの行くべき方向ではないかと思っていました。
    明石さんの記事では~の理論、~の概念、~の方法で・・がかなりたくさん使われており何故~の理論を使うのか、何にとって~の概念が適切なのか、~の方法を使うと何がどう変わりうるのかなどの説明が欲しいと思いました。

    昨年8月22日の記事に吉福さんの「存在の力」「関係性の力」の概念とありますが当然の事ですが理解の仕方も大きく違うのだなと感じました。
    もしこの記事がクライアントさんを対象としているなら、ほとんど深い理解にはつながらないのではと思います。また心理職の人を対象としているなら・・心理職の人に感想をいただいていればいいなと、思いました。

    こんなに失礼なことを書き連ねて申し訳ありません。明石さんが正直で、愛せる人であるがゆえに、私も自分の気持ちを偽らないでストレートに伝えたいとおもいます。
    お許しください。