家族トラウマ、複雑性PTSD,アダルト・チルドレンに関する先人の仕事ぶりに敬意を表しながら、ACとは、自分自身を自覚するためのひとつの自覚、コンセプトであるというコンセプトを基盤とするカウンセリング、ワークを研究しています。
▶依存の問題とは、本人の心身・思考の働きを制限、停止することで、擬似的な平穏をもたらし、「ほんとうの自分の問題」(人間関係の葛藤)への直面をとりあえず、先送りできるというメリットがあるのです。
依存というカテゴリーがあります。診断基準は日常生活や仕事などに著しい支障を感じているということになります。お酒、薬物(医師の処方薬も含む)、ギャンブル、買い物・浪費、過食、拒食、過食嘔吐など目に見えやすいものと、
共依存(自分を犠牲にして他人の問題にのめり込む、自身を傷つける関係を続ける、ノーといえない、責任感が強すぎる)や恋愛、性行為などの行為・関係依存もあります。
また、他人に認めてもらいたいという気持ちが強く、倒れるまで働く仕事依存や、過剰な運動・競技などへの依存、などを訴えるクライアントさんも少なくありません。
さらに、「私は◯◯◯のような人なのだ」、例えば、私は前向きでポジテイブな人間である。
などという限定された自分自身の一側面との関係性に固執し、依存関係を続けていて、それが対人関係のトラブルを繰り返していたり、うつや不眠、感情の爆発などの身体症状や病気を繰り返しているケースも少なくありません。
犠牲者、苦しい自分、不幸な自分、なにをやってもうまくいかない自分、うつ・不眠症の自分、良い人という自分、友達がたくさんいる(いない)自分・・・などなど
自分自身を傷つけるほど邁進してしまうこと、アディクション・依存症とは、無意識の領域に関連するので、ひどい状態になるまで気がつきにくいという側面があります。
気がついたとしても、「頭ではわかっているけれどやめられない」という状態が続くことがあります。
ACあるいは家族トラウマの傷を抱えてきた人々は、困難に抗い、
なんでもないことだと、やり過ごして生き延びるために「意志」に頼りすぎてしまうです。私たちの個体は「意志」に頼りすぎると「感情・身体感覚」をふさぎ込んでしまいます。
そうすると、心身が不一致を起こして、自分自身を制限したり傷つけたりすることであったとしても「現在の自分を保つ」ことを維持してしまいます。
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今、起こっていることには意味がある、困難は個性化のプロセスでしかない、 逆境は「自分の専門家」になるプロセス。 現代社会がどんなに矛盾にみちているとしても、人は必ず、 自分らしく生きる意味を見つけることができると私は信じています。
家族とAC研究室