自分を知れば知るほど他者とつながることができるようになると話してきた。
さて、人間関係のつながりのトラブルなどの争いごととはどのようにして起こるのだろう?利害の対立、考え方の相違などさまざまな要因があげられるが、ここでは対人関係に関わる「心の姿勢」という点から話していく。
Co:ところで、おじさんはスマホやSNSがあまり得意ではないのだが、どうしてあんなにキラキラアピールをする必要があるんだろう?と思う。
AC:キラキラ楽しそうな方がテンションがあがるし明るいし幸せそう。
Co:楽しくないときだってあるでしょ?
AC:楽しそうで幸せそうのほうが可愛いく見えるしモテるから?うーん、フォロワーさんが増えるから、いいね!が増えるから?
Co:う~ん、そうなんだろうけど、なんだか気持ち悪い。
AC:え~どういうところですか?
Co:いつでも幸せでなくてはいけないかな? いつでもテンションがあがってないといけない?「いいね」が多くなくちゃいけないかなー?
AC:うーん、その方がつながっている感じがするのかも?
Co:つながってるの? 誰と?
AC:う~ん、。友達とか、知り合いとか、、。
Co:へーそうなんだ。もし、つながってないとすると?
AC:う〜ん。取り残された感じがして、自分を否定された気がして、すごく不安になるかも。ひとりのときとか。
Co:電車の中でたくさんの人が無言でスマホ見てるけど、つながってるんだ?
AC:あーそうかも。私はひとりじゃないのよ。みたいな。
Co:ゲームしてる人や動画見ている人もいると思うけど。
AC:あー、私はさみしいわけじゃないのよ、ただ忙しいのよ。なにか?みたいな。
Co:誰かとつながっていたいし、さみしく見られたくない?
AC:あー。
Co:誰かとつながってないこと、さみしいこととはどんなことなのかな?
AC:ひとりで、。かっこ悪いこと、変な人。
Co:は? ひとりとは、かっこ悪い? 変な人?
AC:はい。たぶん。
Co:なるほどー。じゃあ、かっこいい普通な人になるスマホ依存症だね(笑)
AC:・・・そうかもしれません。私、えー、スマホを15分以上離せません(笑)メールやラインが来てるかとか、いいね!がついているかどうかしょっちゅう見ちゃいます。
Co:うーん、なるほど。スマホ、SNSを通じてお互いが相手をチェックしあう監視関係みたいだね。監視関係では他人の評価にすごく敏感になる。例えば、返事が来ないと受け入れられていないと思ってしまうかもね。または、建設的なちょっとした意見を言われても否定されたように傷つくかも。
AC:あー、だから見過ごせないんです。
Co:もしくは、相手にキレて攻撃的になるかもしれないね。
AC:・・・う、。なんどか。
Co:私たちは内面に持ちきれない不安や苦痛などを無意識の領域に投げ込んでしまう。例えば、誰かと親密に繋がりたい、さみしいという強い気持ちがあるのに、感じないようにしていると、その強い気持ちが何かのタイミングで跳ね返ってくることで気づかされる。
いいね!がつかなかったり、ラインがすぐに返って来なかったりしたときに、
「なんでだよ!」と衝動的な強い怒りが浮上したり
「むかつく!」と。
Co:それから自分のなかったことにした感情を他者に写し込んで見てしまう投影という防衛機構は知っているね?
AC:はい。なんでかわからないけど、あの人に会うと毎回イライラしたり、。ですね?
Co:そう。自分では向き合いたくないものをうまくなかったことにしているつもりなんだが、他者に見てしまうんだ。
「あの人のせいだイライラする!」
「あの人のせいで自分の幸せがじゃまされている!」
「あの人が私を嫌っている!」
それらのイライラや怒りなどは、断片化した自己(自分の未統合の部分、なかったことにしている感情に付随している)を見出すチャンスなのだが、自己探求できないと、それを他者のせいだ!としてしまうのだ。
このメカニズムは、あの会社、あの組織、あの団体、あの国のせいで自分たちは不幸になる!と相関していくだろう。
だから、一刻も早く排除しなくてはいけない!と。
争いや戦争はそのように起こるかもしれない。
もちろん、明らかに他者に攻撃を受けている場合は対処しなくてはいけないが。
自分自身に起こっていることに自覚をむけること、投影を引き戻す取り組みは未統合の部分を束ねて本来のあなたの全体性に向かうのだ。
私たちひとりひとりが、この姿勢を持つことができれば、他者に投影した自身の不満や怒りを自分の栄養にすることができる。その姿勢は、争いや戦争を無力化することにつながると確信している。
自身について深く探求できる人々とは力を持っている人々なのだ。
ACという自覚を使って投影に取り組み探求する力は、争いや戦争を無力化する力なのだ。
2021.12