Co:ところで、「自分はACだからその治療をしてください」というと、医療者とあんまりうまくいなかいことがある。
AC:へー?
Co:誤解を恐れずに言うと、例えば、繰り返す対人関係トラブル、自分を失うほどの共依存行動、感情の爆発、慢性的な不安を背景とした不眠や肩こりなどには投薬治療があまり有益に働かないことがある。もちろん、緊急時の適切な対処、症状の一定の鎮静化の必要の際は投薬治療が必要だ。
とてもつらい経験をして、やっとのことで心療内科や精神科のドアをくぐったのに、あまり話を聞いてもらえず、お茶碗一杯分のお薬が出されて驚いて。それでも、なんとかお薬を飲むのだが、。
AC:私の場合は少し眠れたり、ぼーっとするような気分にはなって助かったこともありました。
Co:うん。対人関係のトラブルとか共依存行動は?
AC:・・・。
Co:お薬が自分の変化の役に立たないことで自分を責めてしまうことがある。
AC:・・・やっぱり私が「へん」なのかと。
Co:もしくは、医療者へ不信をつのらせたりすることがある。それで、医療者の指示を守らないなどの行動に繋がり、結果的に治療関係がうまくいかなくなるといい事例報告が少なくないんだ。(斎藤学JUST記事、精神科の時間引用)
AC:う~ん、わかります。
Co:そこで、精神療法の出番なんだけど。
AC:カウンセリングですね。
Co:うん。でもね、カウンセラーといっても専門領域はさまざまだから、前に話した、複雑性PTSDや家族トラウマ、特徴的なパーソナリティ構造の治療などの専門的なトレーニングを積んでいるカウンセラーでないと、精神療法関係も続かないことが多いんだ。
AC:あー。
Co:複雑で特徴的なパーソナリティ構造、例えば、境界例パーソナリティ、自己愛パーソナリティ構造とは自己の理解や対人関係において複雑な心的防衛機構が働きすぎることで生活や仕事に著しく支障がでる。
AC:あ、パーソナリティ障害って聞いたことありますよ。
Co:うん。例えば、治療関係でも、カウンセラーを理想化して、「あなたは私のずっと探してきた人だ」と言っていたかと思うと、「私のことをわかってくれない。許せない!もう二度会わない」とこき下ろしたりと、激しく揺れ動く。自分の存在に関する強い不安があるのだろう。
AC:うあ、。
Co:私たち「人間」という不確実で曖昧な存在に喜びを見いだせず、白か黒のような思考にとらわれていて、主に対人関係(自分との関係も含む)のトラブルを繰り返すが、それは、治療者やカウンセラーとの間でも頻繁に起こるんだ。本人もつらいのだが、家族や周囲の人々もつらさにまきこまれることが少なくない。
AC:どうやって、カウンセリングするんですか?
Co:うん。カウンセラー側に覚悟が必要だ(笑)。
AC:うあー、たいへんだから?
Co:いやいや、ジョーク。覚悟というよりカウンセラー自身の自覚、人間への関心だね。
AC:関心もてるんですか?
Co:うん。だって、特徴的なパーソナリティ構造とは、彼ら彼女らが生き延びるために纏ってきた帽子やジャケットの一部だから、。カウンセラーにとっても、人間って興味深い!ということを教えてもらえる機会になる。
AC:えー。
Co:親密な関係、例えば、親や養護者との関係性に大きく傷ついて、対人関係に歪みが生じているわけだから、新しい関係性をつかって治療をしていくんだ。
AC:関係性?
Co:治療者、カウンセラーとの関係をつかって、親密な対象との関係性を「育て直す」んだ。
AC:へー。
Co:近年の研究では、専門医療者やカウンセラーらとの専門的な関係性を築いて、時間の経過をみかたにつける取り組みは、自己の育て直し、パーソナリティの変容に有効であると報告がいくつもある。
AC:時間がかかるんですね?
Co:うん。長い時間かけて歪んだ対人関係パターンをあつかうには、反復学習と体験的な「時間」の積み重ねがセラピー(治療)にはとても重要なんだ。ヤーロムという治療者は、「パーソナリティの支障とは、親や養育者(親密な対象)との不適切な対人関係で形成され、対人関係の相互作用に伴う知覚と期待の歪からつくられたものであると言っている。(1991 アーヴィン・D・ヤーロム他 )
Co:だから、私の研究室だと、個人カウンセリングと集団心理療法(グループワーク)を併用して続ける実践をしている。家族という複数の人々との間で傷ついた部分を、専門的な疑似家族、集団で治療していく枠組みなんだ。
AC:へー。
2021.9