子どもの時代に塞いでいた感情、例えば、「不安」などは当時と似たような状況、仕事や生活において大きなストレスがかかったときなどに浮上してくるだろう。
もちろん、浮上とは大人になったあなたに再解釈、癒やされようとする流れなんだが。
例えば、あなたは子ども時代には「不安」にオリジナルのスキルで防衛してきた。なかったことにする否認。そのうち魔法か魔術的な状況が起こって状況が改善すると考える万能的コントロール。状況の内容認知から感情や気持ちを濾して合理化する隔離。これらを原始的な防衛機制といいます。これらは子ども時代には必要なものなのです。
でも、大人になったいまでも子ども時代につかってきたスキルだけで防衛をする時に支障が表出するのです。
対人関係や親密な人間関係において湧いていくる「不安」の浮上は、恥ずかしくて、恐ろしくて感じたくないみたくもないから、コントロールするためにオリジナルの否認や隔離を無意識に使う。でもオリジナルのスキルは、子ども時代を生き延びるためには有効であったが、大人が健全な仕事や生活との関係性をとろうとするときにうまくいかない。
また、なかったことにした感情は、実際には、なくならないので、たびたび、つついてくる。
そのため、スリカエなければいられない。「不安」の浮上を、現実的な他の「不安」で上塗りをしてスリカエようと邁進してしまうかもしれない。不安に対処するために「興奮」という感情にのめりこむ。あるいは、「不安」を感じないように「閉じ」たり、シャットアウトしてしまうかもしれない。
そうすると、いっとき、「不安」の浮上を感じなくて済む。例えば、自分を傷つける人間関係を続ける、倒れるまで仕事をする、ハードなトレーニングをする、スマホで情報を探し続ける、買い物、SNS、ギャンブル、お酒、などなどなど。
あなたが危険な状況、興奮に引き寄せられるなーと知ったのはいつごろだろう?
Co:不安を「興奮」で打ち消すようなやりかたは、心理的代償が大きいんだ。興奮が冷めた後、心身ともに酷く消耗してまうだろう。
AC:なんだかずっとがんばってはしゃいでなくちゃいけないような。
Co:ポジティブにしなくてはー、テンションあがるー、アゲアゲ~(笑)そんなことばかりに人生の喜びや味わいがあるはずがない。
うすうす気づくのだがこのようにするしかやりかたを知らない。不安を興奮で上書きしないで、不安のままでいて生きていけるのだろうか?と。
それでますます、興奮にのめりこみ、たいへんな状況になればなるほど燃える!と思い込んで邁進し、ひどい消耗を繰り返す。
AC:あぶなーい。
Co:これまで困難の中でもなんとかやっていく自分、切迫した状態をくぐり抜けていくことに「生きてる!」を実感し「居場所」をみつけていたのかも知れない。
AC:なるほど。
Co:さて、いまでは、大人になったあなたは、あの頃とは違い自分の存在が少しはわかりかけてきたり、欠点のある自分や失敗を世話をしたり受け入れたりできる。もはや、危ない状況に飛び込んで興奮を味わう必要はない。
AC:おー。
Co:でも、そうすると本質的な「不安」が浮上する。
「困難に向き合わなくても生きいていいのだろうか?」
「人の役に立たなくていいのだろうか?」
「誰かを助けなくても生きていていいのだろうか?」
これらに素手でシラフで向き合わなくてはいけなくなる。まるで、戦争が終わったのに、使い慣れたマシンガンを手放せない兵士。
AC:もう必要ないのに?
Co:必要のないのに気がついているが、手放すことへの抵抗や「恥」が浮上する。北風と太陽だね。
AC:雨風がやんで、お日様が出てきたのに?
Co:この時期のカウンセリングでは次のような言葉が語られる。
「どうしたらいいのかわからない」
「何もかもいやになった」
「空虚だ」
「さみしくて死にそうだ」
AC:この期間を過ごすにはどうすれば?
Co:うん、この期間はカウンセリングがひとつの折り返し地点にきたことを意味する。これまで共に取り組んできたカウンセラーやグループの仲間らと、ここまでよくがんばった自分に共感をむけ、相互交流という栄養を充填するんだ。
「どうしていいかわからない」というような空白は、今後の「自分」を見つけるための新たなスペースなのだ。この新たな空白を「自分のもの」で埋めていくんだ。
カウンセラーは次のような「新しい自己」の言葉の出現に耳をダンボにしている。
「なんだか、ばかばかしくてもうどうでもいい」
「窮屈で、アホくさいです」
「もう、戦うのは十分だと自分に言いたい!」
不安な状況で生き延びる力とは、自分を保護するという新しい自己の力に変化する。そして、それはあなたの大切な人を守る力に変化していく。
AC:ほー。
2021.10