Co:さて、ここでは、「自分の専門家」になる冒険とはどのような道筋を通るのか、ひとつの事例をベースにざっと話してみようと思う。
AC:先人が目の前に居るというのはありがたいですね。
Co:はは、そうだといいけど。ひとつの事例にすぎないよ。
Co:まず最初は、苦難の連続、倒れるところまで。
AC:えー、倒れるんですか?
Co:うん、。自分を証明するための貪欲な冒険だ。
親や養育者など他者に、自分とは何ができるのかを必死に証明しなくてはいられずに、あるいは、人と良くつながりたくて貪欲にあれこれ行動してしまう時期がある。自分を失うほどの貪欲な行動はアディクションに発展したり、対人関係(自分との関係を含む=他人のための自分になろうとする)トラブルを繰り返し、仕事や生活への基盤が破綻に追い込まれることがある。
AC:うーん、つらいですね。がんばって生きているのに破綻するなんて。
Co:うん、。どれだけやっても関心を得られない、愛されないと大きく落ち込んでしまうだろう。これは、ACに取り組んで行く人が通過するひとつの過程なのだが、自分の人生をコントロールできない恐怖とそれを受け入れることへの強い「恥」が関連するんだ。
「私は何をやってもだめなやつだ」と、親や育った環境を恨み、現在の状況を疎み、犠牲者でいることにとどまり、自分の存在や可能性を疑ったり、これまで生き延びてきた物語りをも否定してしまうだろう。
AC:うーん。なんだか複雑な憤りを感じます。
Co:結果的に、将来への漠然とした不安、コントロールできない恐怖をなんとか打破しようとさらに貪欲になるか、または、一歩も出ずに、こころを閉じて、何もかもバッサリと止めてしまうような両極端な行動をくり返すこともあるだろう。
AC:もう、どうしたらいいのかわからない!というような状態ですね。
Co:そうだね、ここがいちばんつらいかもしれない。
AC:がんばってもがんばってもどこにもいけない感じ。どうすればいいんですか?
Co:うん。その質問はすごく大事だね。私の提案は、「関係性」に変化をもたらせてみることだ。まずは、「自分と自分との関係性」に。外部に答えを求める行動から、自分の内面にある力に気づく機会を創ってみることかな。
AC:全然思いつきません。例えば?
Co:もちろん、相性の良いカウンセラーやセラピストにつながることを提案するが(笑)、。でもそればかりではなく、人それぞれ目の前にきっかけがあるのだと思うよ。
例えば、これまで会いたかったけど合わずにいた友人や知人、親戚に会いに出かけてみる。これまでなんだか遠慮していた本や映画に目を向けてみたり、後回しにしていた趣味やアクティビティに取り組んでみたりと。これまで「自分」だと思っていた部分とはすこし違う自分を体験してみる。
AC:あー。
Co:でもね、ほんとうは、これまでわかってたけど見ないようにしていた身体と感情に取り組んで見ることが、「自分の専門家」になる冒険を味わい深くするのだろうと思う。
AC:え?
Co:あれこれ考えてしまって、他人のようになろうとして苦しむだろ?
AC:他人から見た良い人になろうとして。ですね?
Co:そう。あなたの身体と感情とは、唯一あなたのものだし、あなたの命の流れと言ってもいいだろう。
AC:命の流れ?
Co:例えば、私の胃の痛みや眠れない夜は私のものだし、私の怒りや悲しみ、不安は私がわたしであることを思い出させてくれる私の流れだね。
AC:ふんふん。
Co:ぜんぜん良い事例ではないけど、私は人生の中盤でいくつかのおおきな身体症状に直面した。いろんな奇跡を経てなんとか乗り越えしのぐことはできたが、もう、「ないこと」「なかったこと」にはできなかった。周囲と同じように会社勤めはできないだろうと明らめたものの、残りの人生をどのように生きていけばいいかわからなくて途方にくれた。
七転八倒しながら、自分でできると思った唯一ことは、自分と同じような境遇を現在進行系で抱えている人たちに、自分の体験を仕事として昇華してみることなのだろうと思うついた。
AC:ほー。
Co:それは無謀な試みで、すぐにまた、倒れそうになったときに、何人かの先人の存在を身近に体験したこと。東北大震災後の手付かずの光景を目撃させてもらう機会があったこと。こうした経過を通して、私はぼんやりだが自分の人生の意味や責任が見えてきたのかもしれない。
AC:う~ん。
Co:身体と感情の流れに意識をむけることとは、自分自身への帰還なのだろうと振り返るよ。
AC:帰還?
Co:うん。他国の最前線から自分の家にもどることができた。
AC:なるほど。
Co:そうしたら、カウンセラーという仕事を生業にしようとしていることに気がついた(笑)。
AC:へー!
Co:もう、旅立つしかなくて勢いよく旅立ってしまったのかもしれない(笑)、目の前の人間の苦しみや悲しみや苦闘の物語りにとても関心があったんだ。でも、しばらくはカウンセラーらしいことは何もできなかったなぁ。何もできなくて落ち込んだり、クライアントさんに怒られたりしていた。耳を傾けることで精一杯だった。
AC:へー、そうだったんですか(嬉)
Co:無力感に苛まれて眠れない夜を過ごしてたよ。
AC:うあー。
Co:内面では荒海を航海していたり、雪山を登ったり降りたりしていた。毎日がほんとうに冒険だったよ。
AC:うーん。
Co:そうやって、社会の不条理や人間の多様性を理解しようと格闘してたら、これまで私を翻弄してきた「いい人にならなくては生きていてはいけない」や「何ができるのか証明しなくてはいけない」がどうでもよくなって、謙虚な気持ちになっていくのに気づいたんだ。
AC:へー?
Co:もう、どこにも行かなくていいいし、誰かに何かできることを証明するように生きなくていい。いまのままで十分であること。いまのままの自分を享受してみること。
やり過ぎているなと言うメッセージは身体や感情が教えてくれること。つかれとか、不眠とか、怒りや不安とかで。こうして、いまここに展開している自分の人生を受け取ることができるようになったのだと思う。
AC:冒険映画のよう。
Co:うん。ACの回復とは「自分の専門家になる」冒険を通して、幼少の頃から生き延びてきた力を肯定し、自己評価を適切にする道のりなのだろうと思う。
AC:誰かのものじゃなくて、自分の人生の冒険なんですね。
Co:ふむ。
2021.8