Co:さてさて、いよいよここからは、「自分の専門家になる」という話をしていこうと思う。
AC:はい。
Co:これまでのセッションでは「自分」を知るために時間を使ってきた。いまどんな自分に気がついていますか?
AC:・・・生き延びてきた自分、でも、おとなになって問題を一人で抱えてしまった自分、言うのが恥ずかしいけど、生きる力のある自分(苦笑、照れる)
Co:おー。とてもすてきな気づき、大盛り。
AC:・・・えー。(赤くなる)
Co:うふふ。自分の専門家になってきたねー。さて、いくつかの精神療法では、単に回復や変化と呼ぶこともあれば、自分の他の側面に触れてみること体験することを「癒やし」、パーソナリティの変容を「個性化」、断片化されていた自己の新たな束ねを「統合」、また、人生物語りの「再構築、再著述」などと呼ぶことがある。
AC:へー、いろんな用語ちょっと難しいです。
Co:うん、ここでは、「自分の育て直し」の提案として「自分の専門家になる」という言葉を使っていきたいと思う。
AC:はい。
Co:40代男性の事例を話す。
彼は人生のはじめから大きな苦難を体験し、慢性的な病気とともに生きてきた。ある時、そんな自分の人生にはいったい何が起きているのか? 自分とはいったい誰なのか?を知らないと、もはや一歩も前にすすめないと気がついた。理不尽な大病をある程度克服できそうに思った頃であった。さらに、これまでずっと無自覚であった「AC」に自分が該当すると気がついてしまった。彼はこれまでのような会社員に戻り人生を送っていくことに心底恐怖を覚えた。
AC:せっかく病気を克服してこれからという時に?
Co:立ちすくんだ。自分が誰なのかかわからないままに、やりたいのかやりたくないのかわからない仕事をつづけながら生きていくことができるのか?と。
AC:なんて言うか、もう、耐えられなくなった?
Co:そうだね。ごまかしきれなくなった。されとて、学業を一生懸命やってきたわけでもなく、何か資格を持っているわけでもなく、頑丈な身体を持っているわけでもないと気づいてしまった。
AC:・・・うん、うん。
Co:彼は海岸のデニーズでコーヒーを飲みながらノートにこれまでの経緯を書いていて、心底愕然とした。眼の前がくらくらして、足元がガクガクと震えた。闘病時代の借金はたっぷりあるしぐずぐずしていても家賃は発生するし。
AC:アルコール依存者の言う、底付き体験のような?
Co:もう、いままでのやり方はできないが、他方、どうすればいいのか全くわからない。
AC:つらいでしょうね、ひとりきりで暗闇に放り出されてしまったような。
Co:うん。彼は長い間、自身の人生と格闘し、その問題が染み込んだストーリーとしてこれまで生き延びてきた。そうすると、そういった自分の力の行使こそが自分の人生であると自らを限定してしまうかもしれない。
AC:どういうことですか?
Co:例えば、私は、「犠牲者である」と。もしくは戦い続けなければいけない「兵士」だと。
AC:えっ、私はこれまで何をやってもうまくいかなかったし、犠牲者だと思ってきました。
Co:問題があったにもかかわらず生き抜いてきたのに「犠牲者」?
AC:えーと、そうしたら犠牲者ではない?
Co:そうだね。生存者かもね。
AC:えー、そういうふうに考えたことなかったです。
Co:生存者になるために、あなたは持っているとても強い力をつかってきた。
AC:えー、力って言われても。ただ、死ぬのは怖いし、ただ懸命に、生きてきたんです。
Co:そう、その力とはどんな力なのか?ていねいに探っていく道のりを歩んでみよう、そして、見つけたその力で残りの実人生を生きてみようよ。という試みが「自分の専門家になる」という小さな提案なんだ。
AC:ほー。
Co:彼はワークを経て、あと、残りの人生でどれくらいの時間があるかわからないが、すくなくとも、いま生きているわけだから、「自分」でいようと思った。でも、その、自分がわからないから、もう少しワークを続けていこうと思ったと話している。
AC:えー、もしかして、自分の育て直し?
Co:うふふ。