Co:さて、ACとは何か?ついてだね?
AC:はい。
Co:アダルト・チルドレン(以下:AC)とは、米国においてアルコール依存症とその家族のケアに携わっていた治療者から生まれた言葉なんだ。
AC:アルコール依存の家族?
Co:映画「男が女を愛するとき」では、忙しいパイロットの妻が寂しさをアルコールでやりすごしていく時間が描かれている。子どもたちはそうした親の感情の不安定さを「自分が良い子でないからだ」「自分がなんとかしなくては」と取り込んでしまう傾向にある。
AC:あっ・・・わかります。
Co:そうしたアルコール依存の父親や母親が織りなす緊張と不安定、騒がしい家族で育った子どもたちに、怒りの爆発、感情の平板化、独特の自己破壊的な行動や特有の身体症状などが見られたんだ。それで、AC on A (アダルト・チルドレン・オン・アルコホリック)と呼ばれた。
AC:・・・。
Co:90年代、日本において家族と子どもたちのそうした特有の事例に向き合っていた精神科医の斎藤学や米国臨床心理学者の西尾和美らは、米国の臨床家らの使う言葉より広い範囲に適用する必要を提示して、アルコール依存の問題を抱えた家族に加え、安全な場所として機能しなかった家族の中で育った人々を臨床の対象とするために、AC on D(アダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナルファミリー:機能不全家族のもとで育った子どもたち)という概念として拡張したんだ。
AC:そうだったんですか。
Co:家族トラウマの影響で自分を信頼することや対人関係に支障を抱えている人々を理解しようとしたんだ。西尾和美は、期待が大きく厳しい家庭、無関心な家庭で子ども時代を過ごした青年。特徴として、多彩でとてもよい子、勉強家なのだが,心の傷に自分の言葉,行動が大きくコントロールされていて対人関係やアイデンティティ(自分が自分であるという認識や感覚)にくりかえし困難を抱えている状態であると述べている。
<参考文献>
「アダルト・チルドレンと癒し- 本当の自分を取りもどす」西尾和美(1997)学陽書房.
「アダルト・チルドレンと家族- 心のなかの子どもを癒す」斎藤学(1996)、学陽書房.
AC:病気ではないのですか?
Co:うん、病気ではない。でも、より深い心身の病態を含んでいる目に見えにくい苦難の状態と言えるだろう。そして、その質と量のグラデーションはとても範囲が広い。でも、この言葉のおかげで、家族トラウマに早期の人生を翻弄されその後遺症に悩む人々は、自分に起こっている状態を理解する糸口が掴める。それから、児童期の無関心、過干渉、情緒的搾取などが由来するパーソナリティ支障、アディクションなどに取り組む医療者や精神療法に取り組むカウンセラーにおおきく貢献している。
AC:つまり、ACとは、ある状態を表す言葉なんですね?診断名にはならない、えー、なんて言うか、人間関係のたいへんさとか、生きずらさのような。
Co:そうだね、トラウマ反応に翻弄されていて、自分の在り方や対人関係会、社会との関係性を無自覚のうちにコントロールされている状態と言える。
AC:病名じゃないけど、けっこうたいへんな状態?
Co:そうかもしれない。
AC:病気じゃないからお医者さん行っても、。
Co:そう、あまり理解されないことが多い。部分的なパニックやうつ症状、不眠症状などにはお薬が出るけど。
AC:それじゃあ一般の人がわからないのも無理もないですね。
Co:そう。
AC:あーだから、いろいろ理解されなくて、私、たいへんだったんだ。なんだか少し納得です。
ACとは、早期に不安定、機能不全な環境で「生き残るための自己」を発展させてきた人々。そのため、他者を信頼したり、共感的な情緒を交流させたりという「真の自己」の成長機会を失った人々と言えるのです。大人になって、人間関係に難しさを体験したり、自分の存在、例えば、私とはほんとうは誰なのだ?と思い悩むのも無理も無いのです。
この本では、ACという言葉は、診断のための医学用語や人を誹謗中傷するレッテルではなく、自らの生きにくさの理由を自分なりに理解しようと努める人がたどりつくひとつの自覚。この自覚を用いて,より有効で自由な自己をつくり,その自己を保護するコンセプトである(斎藤,1996) と定義する。
つまり、なんだかわからない不安や痛みや人間関係のトラブルに翻弄されっぱなしにせず、ACというコンセプトをつかってほんとうの自己を見つける冒険をしてみようとこの本では提案していく。いずれにせよ、人生とは苦難や理不尽に満ちているのだから、
すくなくとも、そのほうが、自分の人生を生きることができるのではないだろうか?
2021.6